ジョン・グレイ:スラヴォイ・ジジェクの暴力的洞察
四ヶ月以上ぶりの投稿になります。個人的な理由ではありますが、旅行やらなにやらで当ブログの更新が大変遅滞してしまいましたことをお詫びします。
今回の対象記事は少し特殊です。記事を書いた人はスラヴォイ・ジジェク本人ではありません。今回は、イギリスの哲学者ジョン・グレイによるジジェク本の書評を邦訳させていただきます。該当著作は『Less Than Nothing: Hegel and the Shadow of Dialectical Materialism(未邦訳)』及び、『Living in the End Times(邦訳:『終焉の時代に生きる』)』となっております。
また、次回に邦訳する予定となっている記事は、グレイに対するジジェク本人からの応答です。そちらは相当辛らつな口調が含まれておりなかなか興味深い記事になると思っていますのでご期待ください。
スラヴォイ・ジジェクの暴力的洞察(原題:The Violent Visions of Slavoj Žižek by John Gray | The New York Review of Books)
現代資本主義における諸矛盾を説明するに当たって、スロベニアの哲学者であり文化理論家であるスラヴォイ・ジジェクほど優れた人物はなかなかいないだろう。財政・経済危機によって、冷戦において大勝利を収めたと信奉者に信じられていた自由市場システムの脆さが露呈されたが、過去では社会主義プロジェクトの他に資本主義の後継者を体現するような形態が現れる予兆は見られない。そのパラドキシカルな状況をさまざまな手法で考察する著書のおかげで、彼は世界でも最も大衆に知られた知識人の一人となった。
生まれも育ちもリュブリャナ(連邦が瓦解し独立を宣言するまで、ユーゴスラビア連邦における、スロベニア人民共和国の首都であった)である彼は、スロベニアにとどまらず、イギリス、アメリカ、そして西欧において学問的地位を確立した。彼の桁外れな作品群(彼のはじめての英語による著書『イデオロギーの崇高な対象』(1989年)から始まり、60冊以上もの著作を発表)、数え切れない論説やインタビュー、ならびに『Žižek!』、『The Pervert’s Guide to Cinema』など、学問を越えたところにまで進出している。ポップカルチャーにもよく慣れ親しんでおり、旧共産圏諸国を含む多くの国々の若者の間に支持者がいる。彼の作品を専門にした機関誌―International Journal of Žižek Studies(2007年に設立、購読についてはフェイスブックを通して登録が行われる)―まで存在する。そして2011年の10月には、ニューヨークのズコッティ公園において、オキュパイ・ウォールストリートのメンバーたちの前で演説を行うなどして、大きく報道されることとなり、ユーチューブなどでも視聴することができる。
ジジェクの広範囲に及ぶ影響力は、彼の哲学的、政治的立ち位置が容易に定義できるということを意味しない。彼は1988年までスロベニアの共産党員であったが、彼は党の中枢と、長年の間難しい関係におかれていた。というのも、党側が異端と看做す思想に関心を持っていたからである。また、1990年には、スロベニア自由民主党(中道左派政党であり、その当時は国内で支配的な政治権力であった)の大統領候補として出馬した。ただ、リベラルな考え方は、彼が拒絶する[思想的]立ち位置の判断基準として機能する以外で、彼の思想を形成したということはなかった。
1970年前半、彼の書いたフランス構造主義―人間の思考や行動は相互関係的な原則の普遍的システムを示しているとし、人類学や言語学、精神分析学、そして哲学などの学問において当時一世を風靡した―についての論文を、スロベニア当局が「非マルクス主義的である」と判断した際、彼は大学における講師のポストを追われることとなった。このエピソードによって、当時彼の国で推し進められていた知の自由主義化というものの限界的性質が証明されたわけだが、ジジェクは後に著書の中で、当局が彼の知的方向性をマルクス的でないと判断したのは正しかったことを示唆している。膨大な作品の集成の至る所で、マルクスは既存の思考様式を拒絶するという点にかけて、十分にラディカルではないと批判されている。他方で、ヘーゲル―ジジェクは彼により大きな影響を受けている―は、より弁証法的な思考様式を展開させるために、古典的論理を放棄することを厭わなかったということで、賞賛されている。しかしながら、ヘーゲルもまた、論理の伝統的様式に固執しすぎたために批判されている。そして、ジジェクの著述活動の中心的テーマは、過去の急進的思想家を導いた知的客観性に身を捧げることである。
ジジェクの著作は様々な論点においてマルクスと対蹠の位置にある。ヘーゲルの形而上学に借りるところが多いにも関わらず、マルクスもまた、歴史的発展の現実における道程について理論案出を試みる経験主義的な思想家であった。それはつまり、彼が第一の関心としていた革命という抽象的観念ではなく、経済制度や権力関係における明確で、ラディカルな改造を含めた革命的プロジェクトのことである。
ジジェクはマルクスのこうした思想の側面には関心を示さない。「共産主義(それ本来の意味で)の、ユートピア的‐イデオロギー的概念を抜きにした、“政治経済学批判のマルクス主義”を繰り返す」ことを標榜し、彼は、「20世紀の共産主義プロジェクトはまさに十分にラディカルでない限りにおいてユートピア的であった」と信じている。ジジェクが示すように、共産主義についてのマルクスの含意が、この失敗の原因の一端を担っているのである。「共産主義社会についてのマルクスの理解は、それ自体資本主義固有の幻想なのである。すなわち彼がそうやって適切に描き出す資本主義の敵意性を解決するための、幻想的シナリオである。」
マルクスの共産主義というアイデアを拒否する一方、ジジェクは1000ページ以上にも及ぶ著書『Less Than Nothing』において、彼が支持するような共産主義社会の内で中枢を担うであろう経済システムや政府諸機関の詳細な分析をすることはなかった。事実、現在までの彼の作品の梗概書とも言える『Less Than Nothing』では、代わりに、ヘーゲルを介してマルクスを再解釈すること―「ヘーゲルを読むマルクス、マルクスを読むヘーゲル」という節も存在する―、そしてフランスの精神分析家ジャック・ラカンの思想を参照しつつ、ヘーゲル哲学を再定式化することに充てられている。
ラカンは、言語によって現実が構成されているという信念を否定する“ポスト構造主義者”であり、彼はまた、“理性の狡知”というヘーゲルの思想―それによれば、世界の歴史とは、人間生活の中での、理性の間接的・非直接的方法による現実化なのである―をスタンダードに解釈することを拒否している。ジジェクが彼を約言しているように、「ラカンにとって、理性の狡知は、一見すると不合理で偶発的なものが、理性の全体性における調和を帰結することを保証するもの、即ち見えざる導きの手なるものに対して信託することではない。そうではなく、それは非‐理性への信託なのである。」このラカニアン的読みにおいて、ヘーゲル哲学の語りかけるものというのは、歴史における合理性の進歩的展伸ではなく、理性の機能不全なのである。
ジジェクの執筆で現れるヘーゲルは、スタンダードな思想史の中に登場する観念主義哲学者とは似ても似つかないものである。ヘーゲルとは一般的に、歴史は内在的論理を有しており、その内部において諸観念は実際に具体化され、そしてそれらと対立するものによって止揚される弁証法的プロセスの中で、[諸観念は]棄て去られる、という思想と関連づけられている人物である。現代のフランス人思想家、アラン・バディウを引用すれば、ジジェクは無矛盾性の論理原則を否定するために、弁証法という思想をラディカライズするのである。そのため、ヘーゲルは、歴史の中で作動する合理性を見るのではなく、過去これまでに理解されてきたような理性それ自体を拒否するのである。ヘーゲルの中に暗黙の裡に内在するもの、それは(ジジェクによれば)、定立が「その否定によって抑圧されることのない」、新しい形態での「矛盾許容論理」である。ジジェクが示唆するように、この新たな論理は、今日の資本主義を理解するにあたり非常に適切である。「ポストモダンの資本主義は、ますます矛盾許容のシステムとなってはいないだろうか。」彼はレトリカルに問う。「そこでは様々な形態をとっているものの、Pは非-Pなのである。つまり、秩序とは、資本主義は共産主義のルールの中で繁栄可能か?etc…といったような、秩序それ自体による違反なのである。」
ジジェクは、『終焉の時代に生きる』を、このような状況にかかわるものなのだと述べている。中心的テーマを要約し、彼はこうも記している。
「この本の基礎的な前提は単純なものである。グローバル資本主義システムは黙示録的なゼロポイントに漸近しつつある。「黙示録の四人の騎手」は、生態学的危機であり、生物発生における革命の帰結、(知的財産や、来るべき、原材料や食糧、水を巡る争いなどの)システムそれ自体に固有の不均衡性、そして社会的分裂と排除の爆発的増加、によって構成されている。」
このような広範囲に渡る主張や、大言壮語な修辞法を用いた一節は、ジジェクの著作に典型的に見られるものである。彼が本の前提について単純であると述べるのは、単にそれが歴史的事実を見落としているからである。それを読めば、[彼が]主に計画経済国家の中で起こった、イデオロギー的な理由からの何百万人もの虐殺、および前世紀史上最悪の生態学的大破壊、―例えば、ソ連における自然破壊や、毛沢東の文革期における地方の惨状など―を無視していることは誰の目にも疑いようがない。生態学的な荒廃は、現在世界中の多くの国に存在している経済システムだけが原因なのではない。現状支配的な資本制の形態では、環境面から言って持続不可能であるのは真実であろう。しかし、社会主義が導入されれば環境がよりよく保全されるだろうと提言されたことなど過去の歴史においては全く無かった。
だが、ジジェクがこういった諸事実を蔑ろにしているなどと批判すれば、彼の意図を読み違える結果となってしまう。というのも、マルクスとは違い、彼は事実に基礎づけられた歴史の読解によって理論を措定するつもりは無いからである。彼はこう述べる。「今日の情勢は、我々にプロレタリアートの観念を、プロレタリア的主体位置の観念を放棄させるどころか、反対に、それらをマルクスの想像すら超えるような実存的レベルにまで急進化させように迫る。」「我々には、プロレタリア的主体(換言すれば、思考、行動する人間である)、デカルトのコギトという、実体を奪われた即時消失的な地点にまで還元された主体という、よりラディカルな観念が必要なのである。」ジジェクの手によって、マルクス主義の思想―マルクスの唯物論的な観点から言えば、それは客観的な社会的事実を対象とするのだが―は、革命に対する献身(commitment)の主体的表現となるのである。そのような思想が、世界における諸事物と照応しているかどうかは問われない。
しかし、この点において問題とされるのは、なぜ、他の誰でもないジジェクの思想を取り入れるべきなのか?という所である。その答えは、ジジェクの思想が何か伝統的な意味において真理だということではない。「我々がここで扱う真理というのは“客観的な”真理などではない」「そうではなく、自分自身の主体位置について自己言及的な真理なのである。真理はそれ自体として、奉仕される真理であり、事実において正確であるかどうかではなく、言明によって主体位置にどのように影響を与えるかによって測られるのである。」
もしこれが何がしかを意味するとすれば、真理は、発話者が掲げる構想―ジジェクの場合で言えば、革命の構想である―と思想との照応性を参照することにより決定づけられるということだろう。だが、この事態は、別のレベルでの問題を提起することとなる。即ち、なぜジジェクの構想を採用するべきなのかということである。これについては、ジジェクの革命構想の内容が、明確さからはかけ離れているがために単純な方法では答えようのない問題である。彼は、共産主義を実現した社会が、過去に存在したどの社会よりも優れているということに、疑念の余地を挟む様子もない。他方で、彼は共産主義が現実化されるような状況を思い描くことができていない。「資本主義は歴史上で最も画期的な時代であるばかりでなく、“グローバル資本主義は歴史の終焉である”と述べたフランシス・フクヤマは正しかったのである。」共産主義は、ジジェクにとって―マルクスにとってもそうであったように―実現可能な条件ではないが、バディウはそれを「仮説」―積極的な意味内容を含まないものの、それによって、拡大する支配的制度に対する抵抗を可能にする概念―であると評する。ジジェクは、そのような抵抗こそテロルの行使を含まなければならない、と主張している。
「解放的テロルを今日に蘇らせるべきであるとするバディウの挑発的な思想は、彼のもっとも深遠な洞察力のうちの一つである。…彼の、フランス革命におけるテロルに対する意気揚々とした擁護を思い起こしてみよう。そのなかで、彼は“共和国に科学者は必要ない”というラヴォアジエに対するギロチン刑の正当化の部分を引用している。」
バディウに同調し、ジジェクは毛沢東の文化大革命を「20世紀史上、最後の真に革命的な爆発である」として称揚している。しかしながらジジェクは、“文化大革命は、その行きづまりの時点においてでさえ、政党-国家の枠組みから解放された政治が真に、普遍に不可能であることを目の当たりにした”というバディウの帰結を引用し、文化大革命を失敗であったと位置づけた。毛沢東は文化大革命を推し進めるに当たり、明らかに政党-国家権力を破壊するべきであったのだ。ジジェクはまた、過去から根本的に袂を分かとうと試みた点で、クメール・ルージュを賞賛している。その試みには途方もないレベルの大量虐殺と拷問が存在していたが、彼の見解によれば、それはクメール・ルージュが失敗した理由ではないと言う。「クメール・ルージュはある意味で十分にラディカルではなかったのである。つまり、彼らは限界まで過去を否定した一方で、新たな形式の共同性を作り出すことができなかったのだ。」真なる革命は現状においても、現在想像できる限りにおいても、不可能であるだろう。たとえそうだとしても、革命的暴力は「贖罪」であり「神聖」であるとさえみなされるべきなのである。
ジジェクは自身をレーニン主義者であるとしているが、このような主体位置[ジジェクの思想]は、そのボリシェビキ指導者にとっては忌まわしきものであろう。レーニンは共産主義(彼にとっては実際に実現可能な対象)の大義を推し進めるためにはテロルを使用することも躊躇しない。政治的戦略の一つとして展開される暴力は、本質的に手段なのである。それとは対照的に、ジジェクはそういった共産主義の目標は潰えたこと、達成の見通しも立っていないことを受け入れ、革命的暴力は抵抗の象徴的表出として、それ本来に備わった価値を有するとする。[このような考え方は]マルクスともレーニンとも並行関係にはない。これに先立つものは、フランスの精神病医であるフランツ・ファノンの著作に見られる。彼は、植民者側の権力に従属する者たちによるアイデンティティの発露として、植民地主義に抗う暴力の行使を擁護した。しかし、彼はこの暴力を、民族独立(それは現実に達成された目標である)のための、闘争の一部としてみなしていた。
それよりも明確にジジェクに先行している思想は、20世紀初頭におけるフランスのサンディカリズムの理論家、ジョルジュ・ソレルの著作の内に見られる。『暴力論』(1908年)において、彼は共産主義を、ユートピア的神話であると主張しているが、同時に神話は、ブルジョワ社会の頽廃に立ち向かう、道徳的な再生をもたらす反乱を惹起するという点において価値があると主張する。「共産主義の仮説」に着想を得た「贖罪的暴力」というジジェクの説明と、このような見方との類似性は、非常に説得力がある。
暴力の称揚は、ジジェクの著作において非常に顕著な要素である。彼は、客観的に定義されている社会階級間における、闘争の一要素として暴力が正当化されると考えるマルクスを非難している。階級闘争は、「社会的現実における特定の行為主体同士での争い」と理解されてはならない。「然るに、それぞれの行為主体の間での差異(それは緻密な社会分析という手段によって記述されうる)ではなく、敵対性(“闘争”)こそが行為主体を構成するのである。」スターリンの小作農階級に対する襲撃を論じる際にこの見方を適用し、クラーク(富農)と、その他の階級との区別が、「ぼやけて、意味をなさず、そして貧困が一般化した状況においては、もはや明確な基準が適用されずに、しばしばその他の二つの階級が、強制的な農業集団化に抗する戦いに、クラークとともに身を投じることがある。」ということをジジェクは書いている。この状況に対応して、ソヴィエト当局は新たなカテゴリーである、サブ-クラークを導入した。彼らは、クラークとして分類するにはあまりにも貧しすぎるが、クラークと同じ価値観を共有する人々である。
「したがって、クラークを同定するのは、もはや客観的な社会分析がかかわるような事柄ではない。それは、複雑な“疑いの解釈学”、つまり彼、彼女の公共における虚偽の声明の裏に隠された“真の政治的態度”を特定するような事柄となってしまった。」
大量虐殺をこのように、“解釈学”の実践として描く手法は、不快感を催す、グロテスクなものであるが、これはジジェクの著作に特有のものである。彼はスターリンの農業集団化政策を批判しているが、それは、集団化の過程において暴力的に虐殺された数百万もの人々を憂いているからではない。ジジェクが批判するのは、スターリンの“科学的”マルクス主義用語への固執(非一貫的で欺瞞的なものであるが)である。革命的状況を導くために、“客観的社会分析”に依拠するのは誤りである。「ある時点でそのプロセスは、多大で凶暴な主体性の介入によって飛躍されなければならなかった。階級への所属は、決して単なる客観的で社会的事実なのではなく、それは常に闘争と、社会的アンガジュマンの帰結でもあるのだ。」ジジェクが非難するのは何よりも、スターリンの容赦ない拷問や致死的暴力の行使などではなく、マルクスの理論を援用することにより暴力の体系的行使を正当化していることである。
ジジェクの、社会的事実であると言われるようなものに対する拒絶は、彼のナチズム解釈における暴力の賞賛と一緒にやってくる。非常に議論として取り上げられやすい、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーのナチス政権への関与について論じる際、ジジェクは「彼のナチスへの関与は単なる誤りではなく、むしろ“間違った方向への正しいステップ”であった。」と述べている。多くの解釈とは反対に、ハイデガーは急進的な保守反動主義者などではなかった。「通例に反したやり方でハイデガーを読めば、ある点において、奇妙にも共産主義に類似性を持った思想家が見つかる。」1930年代中盤には実際に、ハイデガーは「未来の共産主義者」であると言われていた。
たとえハイデガーが誤ってヒトラーを支持することを選んだのだとしても、その過ちは、ヒトラーが解き放つ暴力を過小評価した点にあるわけではない。
「ヒトラーにおける問題点は、彼が“十分に暴力的ではなかった”、彼の暴力が“十分に本質的ではなかった”ことである。彼は真に行為することがなかった。彼の行為はすべて、根本的に反動である。というのも、彼は資本制秩序が生き残るために、偽の革命という巨大なショーを演じ、何も変化しないように行動したのである。ナチズムの真の問題点は、全出力を以て権力を行使するという主観主義者‐虚無主義者の傲慢について“行き過ぎてしまった”という点ではなく、十分に行き過ぎることがなかった点にある。ゆえに、ナチズムの暴力は、究極的にそれ自身が忌み嫌う、まさに秩序そのものの肥やしにしかならない、無力な身振りなのである。」
ナチズムの過ちは、―後に於ける、クメール・ルージュの総体的革命の実験と同じく―新たな集合的生活様式の創造に失敗したことである。ジジェクは、ドイツが、ヒトラーの政権よりも反動的・権力的ではない政権によって統治されていた場合に生じるであろう生活形態の性質について、ほとんど言及していない。彼は、この新しい生活様式に関して、人間のアイデンティティにおける特定の形式が生じる余地などないことを明らかにしている。
ヒトラーの「我々は、我々の中にいるユダヤ人を根絶やしにせねばならない」という声明は、反ユダヤ主義の幻想的な地位を暴露した。ヒトラーの声明は、それが言いたかったこと以上のことを言っている。つまり、彼の意図に反して、ゲルマン人たちは彼ら自身のアイデンティティを維持するために、“ユダヤ人”という反ユダヤ主義の像を必要としていることを認めているのである。こうして、“ユダヤ人は我々の中にいる”だけでなく、致命的にもヒトラーが付け加えるのを忘れていたのは、同様に反ユダヤ主義者もユダヤ人の中にいるということである。この逆説的なひねりは、反ユダヤ主義の運命にとって何を意味するであろうか。
ジジェクは、「明確に反ユダヤ主義を批判する際に、疑惧の念が見られる」として、“急進左翼における特定の要素”を非難している。しかしながら、反ユダヤとユダヤの人々のアイデンティティは、ある種相互補完的であるという主張は―これは『Less Than Nothing』の中でたびたび繰り返される主張だが―理解し難い。反ユダヤ主義者がいなくなるただ一つの世界というのは、もはやユダヤ人が一人もいない世界のことである、という彼の示唆を除けば、であるが。
これや、その他の問題について扱う際も、ジジェクは解釈が常に難しい。ただならぬ冗長さと、全体像の掴めないテキストの流れである。彼は、暗示的に他の思想家を特徴づけるような学術的専門用語を使用し、それは芸術的、錬金術的なやり方での言語使用を可能にする効果を持つのだ。彼が認めるように、ジジェクはヴァルター・ベンヤミン―の『暴力批判論』(1921年)から、“神的暴力”という言葉を借用している。ベンヤミンが、はたして文化大革命やクメール・ルージュのような破壊的狂乱を神的とみなしたかどうかは疑わしいものだが。
ただ、これは要点から外れてしまった。というのも、ベンヤミンの業績を借用することにより、ジジェクは暴力を称揚すると同時に、暴力を、特別で深遠な意味において―ガンジーはヒトラーよりもより暴力的であると見做すことが出来る、と言ったような意味において―語ることが出来るようになるからである。そこには、ジジェクの厄介な道化的言葉遊びへの基本的依拠というのが見受けられる。
「その…資本主義の仮想化というのは、素粒子物理学における電子の仮想化と、究極的に同じである。各々の素粒子は静止質量と、運動の加速によって得られた余剰によって構成される。しかしながら、電子の静止質量がゼロで、質量を構成するのは加速によって得られた余剰のみであるとする時、魔法のように電子をスピンさせ、その余剰を生み出すことによって、我々はまるで、虚偽の物質を獲得するかのような無を取り扱っているのである。」
これを読むと、ソーカル事件―物理学の教授アラン・ソーカルが『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』という出鱈目記事をポストモダン系のカルチュラル・スタディーズの雑誌に寄稿した―を想起せずにはいられない。上記の文章にとどまらず、ジジェクの作品に見られる多くの同じような一節は、彼が―故意かあるいはその反対に―自己-パロディーの類を志向しているのではないかということを疑わずには読むことが出来ない。
ある者は、ジジェクの暴力の称揚について、急進左翼ではなく、極右を思い起こさせると非難したい欲望に駆られるかもしれない。彼の著作はしばしば暴力的で、時には(ヒトラーは、「ユダヤ人の中にいる」と叙述した時のように)節度を欠いている。そこには、マルクス主義の伝統の中に位置づけられるどのような思想家よりも、イタリアの未来派、超国家主義者であるガブリエーレ・ダンヌンツィオや、そのシンパであるファシストのクルツィオ・マラパルテを思い起こさせるような、テロルへの賛歌という冷笑的な浅はかさがみられる。けれども、彼はマルクスやレーニンの門弟などではなく、右翼の亜流(epigone)でしかないというのが、より妥当的なもう一つのジジェク解釈であろう。
共産主義についてのマルクスの洞察が、「資本主義的幻想に固有」であるにしてもそうでないにしても、ジジェクの洞察は、―先の構想を否定することは止めておくにしても、実定的な内容を欠いている―かつてとは異なる、真新しい商品や体験などの絶え間ない生産に基づいた経済機構に能く適応している。ジジェクによる無定形な急進主義は、浸食していく資本制秩序について、それが問題含みではあるものの、実現可能な代替を案出することも不可能であると自覚し、儚さという光景に縛りつけれた文化に、理想的に適合している。ジジェクの思想と現代資本主義の間にはこのような異種同形的関係が存在することは驚くに値しない。結局のところ、それはジジェクのような思想家を生み出すことのできる唯一の経済機構なのである。世界的に広く知られた知識人であるジジェクが演じている役割というのは、現在の資本主義モデルの拡大には欠かせないメディア装置と有名人文化に伴い出現したのだ。
知における過剰生産という類稀なる業績の中で、ジジェクは現状の秩序に対する幻想的な批判、現実に存在する何もかもを否定していると宣う批判を創出するものの、それは同時に彼自身が資本主義の活動において感取している、強制的で無目的的な力動を再生産している。本質的に虚無なビジョンを終わることなく反復し、欺瞞に満ちた実体を勝ち取ることで、ジジェクの著作―矛盾許容論理の原則を見事に例証している―は、結局、無以下(less than nothing)なものに成り果てるのである。