ジジェクを中心とした神的暴力論を巡る議論について
久々に投稿します。最近ジジェクは剽窃騒動でてんやわんやですね。ジジェクの主張が真実ならばそこまで大した問題でもないとは思いますが…
まあ、それは置いといて。今回は、ジジェク『暴力 ―6つの斜めからの省察―』の最終章に当たる「軽快に(アレグロ)―神的暴力」についての要旨、解説
、補足及び展開についてレジュメを作ったのでアップしたいと思います。今回は邦訳とは何の関係もないです、すみません。しかも多分本書自体を通読していない方には非常に分かりにくい仕様になっております。これをたたき台にして卒論にまで紹介しようと思ってはいますが、何せまだ初期段階です。これから適宜修正いたしますので。
暴力からみる政治的存在論―神の所在を巡って―
<要旨・解説・補足>
●ジジェク自身の神的暴力における解釈の亀裂
- [ベンヤミンの歴史の天使を引いて…]神的暴力とは、この天使の野蛮な介入であるとしたらどうか。…人間の歴史全体は、名もなき民衆の苦しみを生み出す不正を正す過程としてみることができるのではないか。こうした不正はおそらく、どこかで、「神的な」領域において、記憶されている。
- …そうした正義の暴力的な執行に対立するのは、不正としての神的暴力、突発的な神の気まぐれとしての神的暴力である。…ヨブが偉大なのは、彼が身の潔白を証明したからではなく、むしろ、この不幸には意味がないと主張したからである。(本書p.219~220)
●象徴化それ自体の暴力と象徴化不可能なものとしての神的暴力(p.220~226)
●スローターダイクのルサンチマン批判と、「ニーチェ的な」反ニーチェ的ルサンチマン
メシアニズム的な<最後の審判>を熱望しても、我々は常に憤怒を不足させており、ナショナルな憤怒、貧農の憤怒等を借り入れなければならない。
こうしたローカルな憤怒の爆発[反グローバリズム、エコロジスト、反資本主義、etc…]は、フクヤマを批判するものが「歴史の回帰」としてありがたがるものだが、それは貧しい代用品に過ぎない。グローバルな憤怒にはもはや可能性がないという事実は、それでは到底、覆い隠せない。(本書p.229)
→上述への代替案は、スローターダイクに拠れば、ニーチェ的な反ルサンチマンを以て憤怒を超克することである。(p.230)
↑
↓
支配的な実存範疇としての怨恨は、私の怨恨について言えば、個人の歴史的な長い進展の結果である。[……]私の怨恨は、罪人にとって罪を道徳的な現実にするために、彼に自分の悪行の真実を突きつけるために、実存する。[……]わが身に起こったことについての省察にささげられた二十年をとおして、私は、社会的圧力によって引き起こされる免罪と忘却が不道徳なものであることを理解したと思う。[……]実際、自然な時間間隔は傷口が癒着する生理学的過程に根差しており、現実についての社会的表象に関与するに至っている。まさにこの理由により、その感覚の性質は道徳外のものであるだけでなく反道徳的である。あらゆる自然的な事象にたいして同意を表明しないこと、ひいては時間によって引き起こされる生物学的癒着にたいしても同意を表明しないことは、人間の権利であり特権である。起こってしまったことは起こってしまったことだ。この文句は真理であるとともに、道徳と精神に反している。[……]道徳的人間は時間の停止を要求する。わたしたちの場合、それは罪人をその悪行の前にくぎ付けにすることである。このようにして、時間の道徳的な逆行が起こってはじめて、罪人は自分に似た者としての犠牲者に近づくことができる。
(ジャン・アメリー『罪と罰の彼岸―ある敗北者の生産の試み』、p122~124)
しかしながら、アウシュヴィッツに直面して二十世紀の倫理がこのように挫折するのは、そこで起こったことが残酷すぎて、誰も繰り返すことを欲することが出来ず、それを運命として愛することができないからではない。ニーチェの実験においては、恐怖ははじめから計算に入れられており、悪魔の聞き手におよぼすその実験の最初の効果はまさに「こう語りかけた悪魔に対して歯を向いて呪う」よう聞き手を仕向けるというものである。
(ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』、p.133)
●「慈悲深さ」について
・厳格なユダヤ的正義(同害報復)とキリスト教的慈悲(罪人にうけるにあたいしない赦しを与える)に関する逆説性(p.232~233)
⇒「ゆるし、忘れない」ことのキリスト教的な超自我(≒カルヴィニズムの予定説)
*『ドッグヴィル』のラストシーンは神的暴力であるか
住民を「新たな光」のもとで見ること(象徴界から現実界への移行、観念化から現実化)
⇒慈悲を与える主体(=神)として表象=代理representationすることの傲慢・特権から「純粋暴力」へ
*But.<父親>への回帰は、神的暴力の刹那性を意味するのではないか(デリダとの見解の一致?)
→デリダは、瞬間に現れる神的な暴力の純粋性に疑問符を突きつける。
最後の数行の中でベンヤミンは、署名を為す直前に、「雑種的」という言葉までも使っている。それが結局は神話の定義であり、したがって法/権利を基礎づける暴力の定義である。神話的な法/権利、すなわちこう言ってよければ法的な虚構、それは、「純粋な暴力のとる永遠不滅の諸形態」を「荒廃させる/雑種化する」(bastardierte[=bastardize])ことになる。神話は、神的な暴力を法/権利と(mit dem Recht)交配させている。身分不相応の結婚、不純な系譜。即ちそれは血を混ぜ合わせることではなく、雑種にすることである。実はこの雑種性が、血を流させたり血によって償わせたりするような法/権利を創造することになる。(ジャック・デリダ『法の力』、p.173)
●ジジェクの倫理・道徳論的転回
ニーチェやプロト-タイプなフロイディアンに見られる「懐疑の解釈学」の拒絶(p.237,ℓ2)
・行為の裏に隠された「感性的動因」へと原因を還元するのではなく…、むしろ「欲望に従うこと」と「義務を遂行すること」の一致(p.238,ℓ3)
⇒「自由に<享楽>せよ」という超自我の命令
感性的動因に還元すること―脱主体性において原因を説明するというギリシア的モデル(アンティゴネ―、オイディプス)―の破綻(アウシュビッツの例)
●「…最後に、これぞ神的暴力というものへ」
・神的暴力のアクチュアリティ
ジジェク:フランス革命、及びロシア革命の後に続いた恐怖政治はいずれも神的暴力である(p.239~240)
・[「暴力批判論」の一節を引いて…]したがって、逆説的ではあるが、神的暴力は、生政治に拠るホモ・サケルの扱い方と部分的に重なり合う。どちらの場合も、殺すことは、罪にも生贄の儀式にもならないのである。(本書、p.241,ℓ13)
*ここで、ジジェクは「殺害可能、犠牲化不可能」というホモ・サケルの定式を援用するが、明白にこれは神的暴力と主権的暴力(法措定的暴力)の誤認である
└かつての大革命で殺害された者も、ホモ・サケルも、定式上は一致する(殺害可能、犠牲化不可能)ものの、前者は既存の法が脱措定されたことによる殺害可能化であり、後者は法からの包摂的排除によって例外状態に置かれることによる殺害可能化である(すなわち、法と法措定の主体である主権権力なしにはホモ・サケルは存立しえない)
・前述の倫理的転回について
自身の主体性を引き受け、「戒律」を受け入れるか拒否するかの決断ないし「賭け」に自らを投企することの倫理的至高性(実存主義への接近)(p.243,ℓ13)
⇒また、この倫理は、<大文字の他者>の失墜という今日的課題を乗り越えるための倫理であると解釈可能
・その直前において、神的暴力について何らかの意味付与を行うことに抗するよう仕向ける一方で、主体が孤独の状況において決断を担うよう要請する(p.243,ℓ8)
ここにおいて、当初ジジェク自らが示唆していた神的暴力解釈についての亀裂の意味が明らかとなる(AとBの架橋)
*ジジェク的暴力論においては、客観的な意味付与を不可能とする暴力を、主体が<大文字の他者>を拠所とすることなく、孤独の中で決定を引き受けてさえいれば、倫理的に正当であるのか?
⇒「愛」こそすべて=最終審級である(p.247~249)
「残虐性なき愛は無力であり、愛なき残虐性は盲目である」(本書,p248,ℓ4)
⇒「内容なき思惟は空虚であり、概念なき直観は盲目である」のパラフレーズ
<展開>
彼らはともに主体においての倫理的な「賭け」の場が存在すると主張
それはつまり、ある封印の解読不可能性、すなわちほかならぬ思考の署名を打ち破って開封してみせる―ただし、解読不可能性を解読不可能なものとして、そして解読不可能性には手を触れずにそのままにしておきながら、打ち破って開封してみせる―力を授かるものにとって、ということである。(ジャック・デリダ『法の力』、p.177,ℓ2)
また、彼は『法の力』のあとがきで、あの「神話と神的暴力の交配的形態」をナチスの「最終解決」に近づけて考える
すなわちそれは結局のところ、このテクストによって口をあけられたままになるであろう一つの誘惑である。…それは、ホロコーストを、神的な暴力の解釈不可能な権限として考えたいという誘惑である。…ホロコーストを、罪を清める作用としたり、正義にかなう暴力的な神の怒りの読み解くことの出来ない一つの署名としたりするような解釈の着想にわれわれは恐怖で震え上がる。(ibid、p.193~194)
アガンベンは上記のようなデリダの読みを「綿密な読みであり、奇妙な曲解」であるとしている
⇒アガンベンにとって、この最終解決が位置する場というのは、神的暴力が位置する<法外>の場ではなく法の外と内の不分明地帯に位置する例外状態であり、そこでは法=暴力は脱措定されるのではなく、「宙づり」にされる。
確かなのは、神的な暴力が、法権利を措定も保存もせず、脱措定する、ということだけである。ここから、神的な暴力が危険きわまりない誤解に役立ってしまうということにもなる。(このことはデリダの綿密な読みが証している。デリダはこの試論の解釈において奇妙な曲解を行い、この神的な暴力をナチの「最終解決」に近づけて警戒している)。(ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』、p.96)
例外状態において行使される暴力は、法権利を保存するのでも法権利を単に措定するのでもなく、法権利を宙吊りにすることで保存し、法権利から自らを例外化することによって法権利を措定する。…というのも、主権的暴力は法と自然、外部と内部、暴力と法権利のあいだに不分明地帯を開くからだ。だが、主権者とはまさしく、これらを混同する限りにおいてこれらを決定する可能性を保持するものである。(ibid、p.96)
「暴力批判論」の戦略が純粋でアノミー的な暴力の存在を確証することに向けられていたのに対して、シュミットの場合には、逆にそのような暴力を法的コンテクストのうちに引き戻すことが問題となる。(ジョルジョ・アガンベン『例外状態』、p.109)
*結局のところ、デリダの示していた恐怖の対象としての神的暴力は、実際は主権的暴力ではないか。そしてそれと同時に、デリダの誤読は正当な誤読ではないだろうか?
・アガンベンはハイデガーとナチスの政治的存在論を、根源的に異なるものとして擁護する
ナチズムは、生物学や優生学の用語で規定されたホモ・サケルの剥き出しの生を、価値と無価値に関する不断の決定の場とする。…だが、ハイデガーにおいては、あらゆる行為において自らの生が問題となるホモ・サケルは「存在においてその存在自体が問題となる」現存在になる。…そこでは剥き出しの生のようなものを分離することはできない。例外状態が規則となったところでは、かつては主権権力の相対物だったホモ・サケルの生が、もはや権力の捉えることの出来ない一つの実存へと転倒する。(ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』、p.211)
しかしながら、これはハイデガーのナチズムへの(一時的にではあれ)傾倒を説明するどころか、むしろ謎を深めている。
∴したがって、問題は神的暴力と主権的暴力の同質性ではなく(実際さきほども示したように、両者の位置する場は異なる)、異種同形であることから来る識別不可能性にあるのではないか(ジジェクの例)
ハイデガーは「存在論的(オントロジカル)」暴力という概念を用いている。「存在論的」暴力は、一つの人民からなる新たな共同<世界>を創設する詩人、哲人、政治家の身振りにすべて固有なものとして備わっている。…もう一度ハイデガーに戻ろう。以上述べたことが意味しているのは、ヒトラーの暴力は、そのもっとも戦慄すべき時でさえ(何百万というユダヤ人の虐殺)、「存在的(オンティック)」に過ぎなかった、つまりそれもまた、真の意味で「ポリスの外に出る」ことができない無能さ、…無力なアクティング・アウト[行為への移行]だったのである。そして、ハイデガー自身のナチ関与もまたアクティング・アウトとして解釈できるとしたらどうだろう。ナチ関与が、自身の中に見出した理論的行き詰まり解決できないハイデガーの無能さを物語る暴力の噴出だとしたら。
(スラヴォイ・ジジェク『大義を忘れるな』、p.231~235)
・ハイデガーにおいても、神話的暴力と神的暴力の、「存在的」暴力と「存在論的」暴力の位相を誤認する結果となっている
・そして、ジジェクの暴力論においてすらも、神的暴力と神話的暴力の識別不可能性を解消する手立ては何ら保障されていない
<ひとまずの帰結>
真の神的暴力が破壊的ではない形で建言することが出来るのは、来るべき<成就>された世界においてしかない。これにたいして、神的暴力が現実世界に入り込んでくる場合には、そこには破壊がみなぎることになる。したがってこの世界においては、如何なる恒常的なものも、またいかなる形成も、神的暴力を根拠に据えることはできない。ましてや、神的暴力を根拠にして、支配をこの世界の最高原理として打ち立てることはできない。(ヴァルター・ベンヤミン「神と歴史」)
ここにおいて、われわれは神話的暴力の許容し難さについてだけではなく、神的暴力への近づき難さについて受忍せざるを得ない地点に辿り着いたように思われる。近づき難さというのは、識別不可能性であり、誤認のことでもある。そして別言すれば、神的暴力の雑種性ないし神話=<父>の法への抑圧と回帰の可能性である。これは、ジジェク自身が奇しくも述べていたように、幻想と<現実界>とのあいだでの間合いのはかり方という、また別の問題構成を要請する契機の場を生じさせるだろう。というのも、神話と神、存在と存在論、収容所と解放的革命、<象徴界>(ないし幻想)と<現実界>、前者と後者のあいだでの我々の布置されるべき場のことである。
<参考文献>
ジョルジョ・アガンベン著、高桑和己訳『ホモ・サケル』、以文社、2003年
〃、上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの』、月曜社、2001年
〃、上村忠男・中村勝己訳『例外状態』、未來社、2007年
ヴァルター・ベンヤミン著、山口祐之訳「暴力の批判的検討」『ベンヤミン・アンソロジー』、河出書房新社、2011年
ヴァルター・ベンヤミン著、道籏泰三訳「神と歴史」『来るべき哲学のプログラム』、晶文社、2011年
エファ・ゴイレン著、大澤俊朗訳『アガンベン入門』、岩波書店、2010年
スラヴォイ・ジジェク著、中山徹訳『暴力』、青土社、2010年
〃、中山徹・鈴木英明訳『大義を忘れるな』、青土社、2010年
〃、長原豊・松本潤一郎訳『ロベスピエール/毛沢東』、河出書房新社、2008年
ジャック・デリダ著、堅田研一訳『法の力』、法政大学出版局、1999年
木下聖三「純粋な暴力」『常民文化』第34号、2012年3月
上野成利著『暴力(思考のフロンティア)』、岩波書店、2006年
守中高明著『法(思考のフロンティア)』、岩波書店、2005年
仲正昌樹著『<法>と<法外>なもの』、お茶の水書房、2001年
高橋順一著『ヴァルター・ベンヤミン解読』、社会評論社、2010年
スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して…
前回のジョン・グレイによる批判に対してのジジェクからの応答を訳しました。後半、相当に怒りが込められた口調となっています。実際、一番初めに邦訳したジジェクに対するインタビューの記事にもあるように、彼はあまり他人からの批判に応答するタイプではないようです。ただ、今回に限っては度を越していた、見逃すことが出来ないレベルの批判だったのでしょう。
スラヴォイ・ジジェク:彼の批判に応答して
(原文:http://www.lacan.com/thesymptom/?page_id=2230)
私がジョン・グレイの批判に対して嫌悪感のようなものを抱くとすれば、それは彼の書評が私の二つの近著に対して高度に批判的だからではない。そうではなく、彼の論難が、詳細まで答えようとすれば、単なる間違った言明について正すのは言うまでもなく、当てこすりや誤解に対しての応答など、作家にとっては退屈でしかない、私の立場についての非常に粗雑な誤読に基づいているからである。したがって、理論的棄却と道徳的な義憤を混同にしている典型的な例に話を限定しよう。つまり、反ユダヤ主義に関するものであり、それについては詳細に引用する必要がある。:
ジジェクは、ドイツが、ヒトラーの政権よりも反動的・権力的ではない政権によって統治されていた場合に生じるであろう生活形態の性質について、ほとんど言及していない。彼は、この新しい生活様式に関して、人間のアイデンティティにおける特定の形式が生じる余地などないことを明らかにしている。
ヒトラーの「我々は、我々の中にいるユダヤ人を根絶やしにせねばならない」という声明は、反ユダヤ主義の幻想的な地位を暴露した。ヒトラーの声明は、それが言いたかったこと以上のことを言っている。つまり、彼の意図に反して、ゲルマン人たちは彼ら自身のアイデンティティを維持するために、“ユダヤ人”という反ユダヤ主義の像を必要としていることを認めているのである。こうして、“ユダヤ人は我々の中にいる”だけでなく、致命的にもヒトラーが付け加えるのを忘れていたのは、同様に反ユダヤ主義者もユダヤ人の中にいるということである。この逆説的なひねりは、反ユダヤ主義の運命にとって何を意味するであろうか。
ジジェクは、「明確に反ユダヤ主義を批判する際に、疑惧の念が見られる」として、“急進左翼における特定の要素”を非難している。しかしながら、反ユダヤとユダヤの人々のアイデンティティは、ある種相互補完的であるという主張は―これは『Less Than Nothing』の中でたびたび繰り返される主張だが―理解し難い。反ユダヤ主義者がいなくなるただ一つの世界というのは、もはやユダヤ人が一人もいない世界のことである、という彼の示唆を除けば、であるが。
ここでは一体何が起きているのだろうか。右において引用された"Less Than Nothing"の文章の直ぐ後には、このような文面が続いている。:
ここにおいて我々は再び、カントの先験哲学とヘーゲルとの差異性を浮きだたせることが出来る。両者がともに了解しているのは、もちろん、反ユダヤ主義的ユダヤ人像は具現化されることはなく(単純な言い方をすれば、“本物のユダヤ人”とは適応しない)、イデオロギー的幻想(“投影”)、それは“私の目に映っている”ということである。ヘーゲルが付言するには、ユダヤ人を幻想する主体はそれ自体“写像”であり、まさしく彼の実存は、彼のアイデンティティの一貫性を支える、“現実界の小さな欠片(little bit of the Real)”としてのユダヤ人という幻想に依拠しているのである。そのような反ユダヤ主義的な幻想を取り払えば、幻想を抱いていた主体自身が崩壊してしまう。重要なのは、自己が客観的現実において占める位置や、“私とは客観的に何であるか”という不可能な-現実(impossible-real)などではなく、私自身の幻想が、主体としての私の存在をどのように維持しているのかということだ。
これらの議論は完璧に明確ではないだろうか?密接な相互の関わり合いとは、ナチスとユダヤ人のことではなく、ナチスと彼ら自身の反ユダヤ的な幻想のことである。だから、“反ユダヤ主義的な幻想を取り払えば、幻想を抱いていた主体自身が崩壊してしまう”のである。ユダヤ人と反ユダヤ主義者は相互依存的であるので、ナチスを排除するための唯一の方策はユダヤ人を抹消することである、ということではない。問題なのは、ナチスのアイデンティティは彼自身の反ユダヤ仕儀的な幻想に依拠しているということである。彼自身のアイデンティティは、ユダヤ人という幻想に根拠を置いているという意味において、ナチスは“ユダヤ人の中にいる”のである。したがって、どういうわけか私がユダヤ人の絶滅の必要性を暗示しているという、グレイのあてつけは、ばかばかしくて、奇怪な、非常な不快感を催すものである。詰る所、それは相手に20世紀における最も恐るべき犯罪への共感を帰着させることで論敵の信用を損なわせるという、卑しい目的に適ったものでしかない。
よって、グレイが、「ジジェクは、ドイツが、ヒトラーの政権よりも反動的・権力的ではない政権によって統治されていた場合に生じるであろう生活形態の性質について、ほとんど言及していない。」と述べる際、彼は単に本当のところを伝えていない。私が指摘しているのは、そのような「生活形態」は、まさにユダヤ人のようなスケープゴートを探し出す必要がないだろうということである。「ヒトラーの政権よりも反動的・権力的ではない政権」は例えば、何百万のユダヤ人を虐殺するのではなく、社会的な生産諸関係を変容させ、その敵対的性質を喪失させるのである。これが、私の説く“暴力”であり、それは血が流されることのない暴力である。ヒトラーや、スターリン、クメール・ルージュといった、徹底して破壊的な暴力こそ、私にとっては「反動的で・権力がない」のである。このような単純な意味においてこそ、私はガンジーをヒトラーよりも暴力的であると考える。
直接的に植民地国家を攻撃するのではなく、ガンジーは、市民的不服従、イギリス製品のボイコット、植民地国家の範疇の外部での社会的空間の創造といった運動を組織した。このようなことから、狂っているように思われるかも知れないが、ガンジーはヒトラーよりも暴力的であったと言われるべきである。ヒトラーを、悪党で、何百万もの人々の死に責任があり、しかしそれにもかかわらず鉄の意志で目的を追求したタマのある男であった、と特徴づけるのは倫理的にぞっとさせられるだけでなく端的に誤りである。そうではなく、ヒトラーは真に変革するだけのタマがなかったのである。彼の行為のすべては、基本的に反動的行為である。彼は何事も本当に変化することの無いように行動した。かれは、共産主義の脅威という真の変革を妨げた。ユダヤ人をターゲットにするということは、イギリスの植民地国家の基礎的機能を効果的に中断させようとしたガンジーとは反対に、本当の敵―資本主義的社会関係の核それ自体。ヒトラーは資本制秩序が生き延びるために、革命劇を演じたのである―を回避する置換の行為であった。
読者を何十もの同じような誤読の例で退屈させないように、グレイが自らの批評を現代資本主義と私の思想とのいわゆる“異種同形(isomorphism)”の関係についての言及で締めくくっていることについて述べさせていただきたい。
それ[ジジェクの思想]は同時に彼自身が資本主義の活動において感取している、強制的で無目的的な力動を再生産している。本質的に虚無なビジョンを終わることなく反復し、欺瞞に満ちた実体を勝ち取ることで、ジジェクの著作―矛盾許容論理の原則を見事に例証している―は、結局、無以下(less than nothing)なものに成り果てるのである。
こうした皮相的な偽マルクス主義のような相同性(彼の数えきれない偏向した歪曲と併せて)で判明するどのような事柄も、今日の知的議論の水準の悲嘆すべき指標である。グレイの著述活動こそ、完全に我々のイデオロギー的後期資本主義の宇宙に適合している。あなたは、あなたが批評しているところの著作がどのようなものであるかを全く無視している。あなたは論争の道筋を再構成する試みを全く放棄している。その代わりに、曖昧模糊とした教科書的な通則やら、著者の立場の粗雑な歪曲、漠然とした類推、その他諸々を一緒くたにして放り投げ、そして自身の個人的な従事を論証するために、そのような深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えているのだ(「見ろ!あの著者は新たなホロコーストを主張しているみたいだぞ!」といったように)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。グレイの批評は無以下(less than nothing)でさえなく、単に無価値な無(worthless nothing)である。
最近の"Less Than Nothing"の批評 (Guardian, Saturday 30 June)の中で、ジョナサン・レーは、道徳的なあてこすりにおける更なる深みに達した。
[ジジェクは]貧困や不平等、戦争、金融、児童ケア、不寛容、犯罪、教育、食糧不足、ナショナリズム、医学、気候変動、商品・サービスの生産のことについては全く議論せずに、それでも尚、自身が我々の時代におけるもっとも差し迫った社会問題に取り組んでいると思っている。彼は哲学というおもちゃ兵士の遊戯をする一方で、喜んで世界を燃え盛るままに放置しておくのだ。
まさにこれらの問題へと捧げられた一連の著作を書いた人物について、どうしてこんなことが書けるのだろうか。ヘーゲル本である“Less Than Nothing”においてでさえ、締めくくりの部分では、社会政治学的問題についての包括的な議論が存在している。
ジョン・グレイ:スラヴォイ・ジジェクの暴力的洞察
四ヶ月以上ぶりの投稿になります。個人的な理由ではありますが、旅行やらなにやらで当ブログの更新が大変遅滞してしまいましたことをお詫びします。
今回の対象記事は少し特殊です。記事を書いた人はスラヴォイ・ジジェク本人ではありません。今回は、イギリスの哲学者ジョン・グレイによるジジェク本の書評を邦訳させていただきます。該当著作は『Less Than Nothing: Hegel and the Shadow of Dialectical Materialism(未邦訳)』及び、『Living in the End Times(邦訳:『終焉の時代に生きる』)』となっております。
また、次回に邦訳する予定となっている記事は、グレイに対するジジェク本人からの応答です。そちらは相当辛らつな口調が含まれておりなかなか興味深い記事になると思っていますのでご期待ください。
スラヴォイ・ジジェクの暴力的洞察(原題:The Violent Visions of Slavoj Žižek by John Gray | The New York Review of Books)
現代資本主義における諸矛盾を説明するに当たって、スロベニアの哲学者であり文化理論家であるスラヴォイ・ジジェクほど優れた人物はなかなかいないだろう。財政・経済危機によって、冷戦において大勝利を収めたと信奉者に信じられていた自由市場システムの脆さが露呈されたが、過去では社会主義プロジェクトの他に資本主義の後継者を体現するような形態が現れる予兆は見られない。そのパラドキシカルな状況をさまざまな手法で考察する著書のおかげで、彼は世界でも最も大衆に知られた知識人の一人となった。
生まれも育ちもリュブリャナ(連邦が瓦解し独立を宣言するまで、ユーゴスラビア連邦における、スロベニア人民共和国の首都であった)である彼は、スロベニアにとどまらず、イギリス、アメリカ、そして西欧において学問的地位を確立した。彼の桁外れな作品群(彼のはじめての英語による著書『イデオロギーの崇高な対象』(1989年)から始まり、60冊以上もの著作を発表)、数え切れない論説やインタビュー、ならびに『Žižek!』、『The Pervert’s Guide to Cinema』など、学問を越えたところにまで進出している。ポップカルチャーにもよく慣れ親しんでおり、旧共産圏諸国を含む多くの国々の若者の間に支持者がいる。彼の作品を専門にした機関誌―International Journal of Žižek Studies(2007年に設立、購読についてはフェイスブックを通して登録が行われる)―まで存在する。そして2011年の10月には、ニューヨークのズコッティ公園において、オキュパイ・ウォールストリートのメンバーたちの前で演説を行うなどして、大きく報道されることとなり、ユーチューブなどでも視聴することができる。
ジジェクの広範囲に及ぶ影響力は、彼の哲学的、政治的立ち位置が容易に定義できるということを意味しない。彼は1988年までスロベニアの共産党員であったが、彼は党の中枢と、長年の間難しい関係におかれていた。というのも、党側が異端と看做す思想に関心を持っていたからである。また、1990年には、スロベニア自由民主党(中道左派政党であり、その当時は国内で支配的な政治権力であった)の大統領候補として出馬した。ただ、リベラルな考え方は、彼が拒絶する[思想的]立ち位置の判断基準として機能する以外で、彼の思想を形成したということはなかった。
1970年前半、彼の書いたフランス構造主義―人間の思考や行動は相互関係的な原則の普遍的システムを示しているとし、人類学や言語学、精神分析学、そして哲学などの学問において当時一世を風靡した―についての論文を、スロベニア当局が「非マルクス主義的である」と判断した際、彼は大学における講師のポストを追われることとなった。このエピソードによって、当時彼の国で推し進められていた知の自由主義化というものの限界的性質が証明されたわけだが、ジジェクは後に著書の中で、当局が彼の知的方向性をマルクス的でないと判断したのは正しかったことを示唆している。膨大な作品の集成の至る所で、マルクスは既存の思考様式を拒絶するという点にかけて、十分にラディカルではないと批判されている。他方で、ヘーゲル―ジジェクは彼により大きな影響を受けている―は、より弁証法的な思考様式を展開させるために、古典的論理を放棄することを厭わなかったということで、賞賛されている。しかしながら、ヘーゲルもまた、論理の伝統的様式に固執しすぎたために批判されている。そして、ジジェクの著述活動の中心的テーマは、過去の急進的思想家を導いた知的客観性に身を捧げることである。
ジジェクの著作は様々な論点においてマルクスと対蹠の位置にある。ヘーゲルの形而上学に借りるところが多いにも関わらず、マルクスもまた、歴史的発展の現実における道程について理論案出を試みる経験主義的な思想家であった。それはつまり、彼が第一の関心としていた革命という抽象的観念ではなく、経済制度や権力関係における明確で、ラディカルな改造を含めた革命的プロジェクトのことである。
ジジェクはマルクスのこうした思想の側面には関心を示さない。「共産主義(それ本来の意味で)の、ユートピア的‐イデオロギー的概念を抜きにした、“政治経済学批判のマルクス主義”を繰り返す」ことを標榜し、彼は、「20世紀の共産主義プロジェクトはまさに十分にラディカルでない限りにおいてユートピア的であった」と信じている。ジジェクが示すように、共産主義についてのマルクスの含意が、この失敗の原因の一端を担っているのである。「共産主義社会についてのマルクスの理解は、それ自体資本主義固有の幻想なのである。すなわち彼がそうやって適切に描き出す資本主義の敵意性を解決するための、幻想的シナリオである。」
マルクスの共産主義というアイデアを拒否する一方、ジジェクは1000ページ以上にも及ぶ著書『Less Than Nothing』において、彼が支持するような共産主義社会の内で中枢を担うであろう経済システムや政府諸機関の詳細な分析をすることはなかった。事実、現在までの彼の作品の梗概書とも言える『Less Than Nothing』では、代わりに、ヘーゲルを介してマルクスを再解釈すること―「ヘーゲルを読むマルクス、マルクスを読むヘーゲル」という節も存在する―、そしてフランスの精神分析家ジャック・ラカンの思想を参照しつつ、ヘーゲル哲学を再定式化することに充てられている。
ラカンは、言語によって現実が構成されているという信念を否定する“ポスト構造主義者”であり、彼はまた、“理性の狡知”というヘーゲルの思想―それによれば、世界の歴史とは、人間生活の中での、理性の間接的・非直接的方法による現実化なのである―をスタンダードに解釈することを拒否している。ジジェクが彼を約言しているように、「ラカンにとって、理性の狡知は、一見すると不合理で偶発的なものが、理性の全体性における調和を帰結することを保証するもの、即ち見えざる導きの手なるものに対して信託することではない。そうではなく、それは非‐理性への信託なのである。」このラカニアン的読みにおいて、ヘーゲル哲学の語りかけるものというのは、歴史における合理性の進歩的展伸ではなく、理性の機能不全なのである。
ジジェクの執筆で現れるヘーゲルは、スタンダードな思想史の中に登場する観念主義哲学者とは似ても似つかないものである。ヘーゲルとは一般的に、歴史は内在的論理を有しており、その内部において諸観念は実際に具体化され、そしてそれらと対立するものによって止揚される弁証法的プロセスの中で、[諸観念は]棄て去られる、という思想と関連づけられている人物である。現代のフランス人思想家、アラン・バディウを引用すれば、ジジェクは無矛盾性の論理原則を否定するために、弁証法という思想をラディカライズするのである。そのため、ヘーゲルは、歴史の中で作動する合理性を見るのではなく、過去これまでに理解されてきたような理性それ自体を拒否するのである。ヘーゲルの中に暗黙の裡に内在するもの、それは(ジジェクによれば)、定立が「その否定によって抑圧されることのない」、新しい形態での「矛盾許容論理」である。ジジェクが示唆するように、この新たな論理は、今日の資本主義を理解するにあたり非常に適切である。「ポストモダンの資本主義は、ますます矛盾許容のシステムとなってはいないだろうか。」彼はレトリカルに問う。「そこでは様々な形態をとっているものの、Pは非-Pなのである。つまり、秩序とは、資本主義は共産主義のルールの中で繁栄可能か?etc…といったような、秩序それ自体による違反なのである。」
ジジェクは、『終焉の時代に生きる』を、このような状況にかかわるものなのだと述べている。中心的テーマを要約し、彼はこうも記している。
「この本の基礎的な前提は単純なものである。グローバル資本主義システムは黙示録的なゼロポイントに漸近しつつある。「黙示録の四人の騎手」は、生態学的危機であり、生物発生における革命の帰結、(知的財産や、来るべき、原材料や食糧、水を巡る争いなどの)システムそれ自体に固有の不均衡性、そして社会的分裂と排除の爆発的増加、によって構成されている。」
このような広範囲に渡る主張や、大言壮語な修辞法を用いた一節は、ジジェクの著作に典型的に見られるものである。彼が本の前提について単純であると述べるのは、単にそれが歴史的事実を見落としているからである。それを読めば、[彼が]主に計画経済国家の中で起こった、イデオロギー的な理由からの何百万人もの虐殺、および前世紀史上最悪の生態学的大破壊、―例えば、ソ連における自然破壊や、毛沢東の文革期における地方の惨状など―を無視していることは誰の目にも疑いようがない。生態学的な荒廃は、現在世界中の多くの国に存在している経済システムだけが原因なのではない。現状支配的な資本制の形態では、環境面から言って持続不可能であるのは真実であろう。しかし、社会主義が導入されれば環境がよりよく保全されるだろうと提言されたことなど過去の歴史においては全く無かった。
だが、ジジェクがこういった諸事実を蔑ろにしているなどと批判すれば、彼の意図を読み違える結果となってしまう。というのも、マルクスとは違い、彼は事実に基礎づけられた歴史の読解によって理論を措定するつもりは無いからである。彼はこう述べる。「今日の情勢は、我々にプロレタリアートの観念を、プロレタリア的主体位置の観念を放棄させるどころか、反対に、それらをマルクスの想像すら超えるような実存的レベルにまで急進化させように迫る。」「我々には、プロレタリア的主体(換言すれば、思考、行動する人間である)、デカルトのコギトという、実体を奪われた即時消失的な地点にまで還元された主体という、よりラディカルな観念が必要なのである。」ジジェクの手によって、マルクス主義の思想―マルクスの唯物論的な観点から言えば、それは客観的な社会的事実を対象とするのだが―は、革命に対する献身(commitment)の主体的表現となるのである。そのような思想が、世界における諸事物と照応しているかどうかは問われない。
しかし、この点において問題とされるのは、なぜ、他の誰でもないジジェクの思想を取り入れるべきなのか?という所である。その答えは、ジジェクの思想が何か伝統的な意味において真理だということではない。「我々がここで扱う真理というのは“客観的な”真理などではない」「そうではなく、自分自身の主体位置について自己言及的な真理なのである。真理はそれ自体として、奉仕される真理であり、事実において正確であるかどうかではなく、言明によって主体位置にどのように影響を与えるかによって測られるのである。」
もしこれが何がしかを意味するとすれば、真理は、発話者が掲げる構想―ジジェクの場合で言えば、革命の構想である―と思想との照応性を参照することにより決定づけられるということだろう。だが、この事態は、別のレベルでの問題を提起することとなる。即ち、なぜジジェクの構想を採用するべきなのかということである。これについては、ジジェクの革命構想の内容が、明確さからはかけ離れているがために単純な方法では答えようのない問題である。彼は、共産主義を実現した社会が、過去に存在したどの社会よりも優れているということに、疑念の余地を挟む様子もない。他方で、彼は共産主義が現実化されるような状況を思い描くことができていない。「資本主義は歴史上で最も画期的な時代であるばかりでなく、“グローバル資本主義は歴史の終焉である”と述べたフランシス・フクヤマは正しかったのである。」共産主義は、ジジェクにとって―マルクスにとってもそうであったように―実現可能な条件ではないが、バディウはそれを「仮説」―積極的な意味内容を含まないものの、それによって、拡大する支配的制度に対する抵抗を可能にする概念―であると評する。ジジェクは、そのような抵抗こそテロルの行使を含まなければならない、と主張している。
「解放的テロルを今日に蘇らせるべきであるとするバディウの挑発的な思想は、彼のもっとも深遠な洞察力のうちの一つである。…彼の、フランス革命におけるテロルに対する意気揚々とした擁護を思い起こしてみよう。そのなかで、彼は“共和国に科学者は必要ない”というラヴォアジエに対するギロチン刑の正当化の部分を引用している。」
バディウに同調し、ジジェクは毛沢東の文化大革命を「20世紀史上、最後の真に革命的な爆発である」として称揚している。しかしながらジジェクは、“文化大革命は、その行きづまりの時点においてでさえ、政党-国家の枠組みから解放された政治が真に、普遍に不可能であることを目の当たりにした”というバディウの帰結を引用し、文化大革命を失敗であったと位置づけた。毛沢東は文化大革命を推し進めるに当たり、明らかに政党-国家権力を破壊するべきであったのだ。ジジェクはまた、過去から根本的に袂を分かとうと試みた点で、クメール・ルージュを賞賛している。その試みには途方もないレベルの大量虐殺と拷問が存在していたが、彼の見解によれば、それはクメール・ルージュが失敗した理由ではないと言う。「クメール・ルージュはある意味で十分にラディカルではなかったのである。つまり、彼らは限界まで過去を否定した一方で、新たな形式の共同性を作り出すことができなかったのだ。」真なる革命は現状においても、現在想像できる限りにおいても、不可能であるだろう。たとえそうだとしても、革命的暴力は「贖罪」であり「神聖」であるとさえみなされるべきなのである。
ジジェクは自身をレーニン主義者であるとしているが、このような主体位置[ジジェクの思想]は、そのボリシェビキ指導者にとっては忌まわしきものであろう。レーニンは共産主義(彼にとっては実際に実現可能な対象)の大義を推し進めるためにはテロルを使用することも躊躇しない。政治的戦略の一つとして展開される暴力は、本質的に手段なのである。それとは対照的に、ジジェクはそういった共産主義の目標は潰えたこと、達成の見通しも立っていないことを受け入れ、革命的暴力は抵抗の象徴的表出として、それ本来に備わった価値を有するとする。[このような考え方は]マルクスともレーニンとも並行関係にはない。これに先立つものは、フランスの精神病医であるフランツ・ファノンの著作に見られる。彼は、植民者側の権力に従属する者たちによるアイデンティティの発露として、植民地主義に抗う暴力の行使を擁護した。しかし、彼はこの暴力を、民族独立(それは現実に達成された目標である)のための、闘争の一部としてみなしていた。
それよりも明確にジジェクに先行している思想は、20世紀初頭におけるフランスのサンディカリズムの理論家、ジョルジュ・ソレルの著作の内に見られる。『暴力論』(1908年)において、彼は共産主義を、ユートピア的神話であると主張しているが、同時に神話は、ブルジョワ社会の頽廃に立ち向かう、道徳的な再生をもたらす反乱を惹起するという点において価値があると主張する。「共産主義の仮説」に着想を得た「贖罪的暴力」というジジェクの説明と、このような見方との類似性は、非常に説得力がある。
暴力の称揚は、ジジェクの著作において非常に顕著な要素である。彼は、客観的に定義されている社会階級間における、闘争の一要素として暴力が正当化されると考えるマルクスを非難している。階級闘争は、「社会的現実における特定の行為主体同士での争い」と理解されてはならない。「然るに、それぞれの行為主体の間での差異(それは緻密な社会分析という手段によって記述されうる)ではなく、敵対性(“闘争”)こそが行為主体を構成するのである。」スターリンの小作農階級に対する襲撃を論じる際にこの見方を適用し、クラーク(富農)と、その他の階級との区別が、「ぼやけて、意味をなさず、そして貧困が一般化した状況においては、もはや明確な基準が適用されずに、しばしばその他の二つの階級が、強制的な農業集団化に抗する戦いに、クラークとともに身を投じることがある。」ということをジジェクは書いている。この状況に対応して、ソヴィエト当局は新たなカテゴリーである、サブ-クラークを導入した。彼らは、クラークとして分類するにはあまりにも貧しすぎるが、クラークと同じ価値観を共有する人々である。
「したがって、クラークを同定するのは、もはや客観的な社会分析がかかわるような事柄ではない。それは、複雑な“疑いの解釈学”、つまり彼、彼女の公共における虚偽の声明の裏に隠された“真の政治的態度”を特定するような事柄となってしまった。」
大量虐殺をこのように、“解釈学”の実践として描く手法は、不快感を催す、グロテスクなものであるが、これはジジェクの著作に特有のものである。彼はスターリンの農業集団化政策を批判しているが、それは、集団化の過程において暴力的に虐殺された数百万もの人々を憂いているからではない。ジジェクが批判するのは、スターリンの“科学的”マルクス主義用語への固執(非一貫的で欺瞞的なものであるが)である。革命的状況を導くために、“客観的社会分析”に依拠するのは誤りである。「ある時点でそのプロセスは、多大で凶暴な主体性の介入によって飛躍されなければならなかった。階級への所属は、決して単なる客観的で社会的事実なのではなく、それは常に闘争と、社会的アンガジュマンの帰結でもあるのだ。」ジジェクが非難するのは何よりも、スターリンの容赦ない拷問や致死的暴力の行使などではなく、マルクスの理論を援用することにより暴力の体系的行使を正当化していることである。
ジジェクの、社会的事実であると言われるようなものに対する拒絶は、彼のナチズム解釈における暴力の賞賛と一緒にやってくる。非常に議論として取り上げられやすい、ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーのナチス政権への関与について論じる際、ジジェクは「彼のナチスへの関与は単なる誤りではなく、むしろ“間違った方向への正しいステップ”であった。」と述べている。多くの解釈とは反対に、ハイデガーは急進的な保守反動主義者などではなかった。「通例に反したやり方でハイデガーを読めば、ある点において、奇妙にも共産主義に類似性を持った思想家が見つかる。」1930年代中盤には実際に、ハイデガーは「未来の共産主義者」であると言われていた。
たとえハイデガーが誤ってヒトラーを支持することを選んだのだとしても、その過ちは、ヒトラーが解き放つ暴力を過小評価した点にあるわけではない。
「ヒトラーにおける問題点は、彼が“十分に暴力的ではなかった”、彼の暴力が“十分に本質的ではなかった”ことである。彼は真に行為することがなかった。彼の行為はすべて、根本的に反動である。というのも、彼は資本制秩序が生き残るために、偽の革命という巨大なショーを演じ、何も変化しないように行動したのである。ナチズムの真の問題点は、全出力を以て権力を行使するという主観主義者‐虚無主義者の傲慢について“行き過ぎてしまった”という点ではなく、十分に行き過ぎることがなかった点にある。ゆえに、ナチズムの暴力は、究極的にそれ自身が忌み嫌う、まさに秩序そのものの肥やしにしかならない、無力な身振りなのである。」
ナチズムの過ちは、―後に於ける、クメール・ルージュの総体的革命の実験と同じく―新たな集合的生活様式の創造に失敗したことである。ジジェクは、ドイツが、ヒトラーの政権よりも反動的・権力的ではない政権によって統治されていた場合に生じるであろう生活形態の性質について、ほとんど言及していない。彼は、この新しい生活様式に関して、人間のアイデンティティにおける特定の形式が生じる余地などないことを明らかにしている。
ヒトラーの「我々は、我々の中にいるユダヤ人を根絶やしにせねばならない」という声明は、反ユダヤ主義の幻想的な地位を暴露した。ヒトラーの声明は、それが言いたかったこと以上のことを言っている。つまり、彼の意図に反して、ゲルマン人たちは彼ら自身のアイデンティティを維持するために、“ユダヤ人”という反ユダヤ主義の像を必要としていることを認めているのである。こうして、“ユダヤ人は我々の中にいる”だけでなく、致命的にもヒトラーが付け加えるのを忘れていたのは、同様に反ユダヤ主義者もユダヤ人の中にいるということである。この逆説的なひねりは、反ユダヤ主義の運命にとって何を意味するであろうか。
ジジェクは、「明確に反ユダヤ主義を批判する際に、疑惧の念が見られる」として、“急進左翼における特定の要素”を非難している。しかしながら、反ユダヤとユダヤの人々のアイデンティティは、ある種相互補完的であるという主張は―これは『Less Than Nothing』の中でたびたび繰り返される主張だが―理解し難い。反ユダヤ主義者がいなくなるただ一つの世界というのは、もはやユダヤ人が一人もいない世界のことである、という彼の示唆を除けば、であるが。
これや、その他の問題について扱う際も、ジジェクは解釈が常に難しい。ただならぬ冗長さと、全体像の掴めないテキストの流れである。彼は、暗示的に他の思想家を特徴づけるような学術的専門用語を使用し、それは芸術的、錬金術的なやり方での言語使用を可能にする効果を持つのだ。彼が認めるように、ジジェクはヴァルター・ベンヤミン―の『暴力批判論』(1921年)から、“神的暴力”という言葉を借用している。ベンヤミンが、はたして文化大革命やクメール・ルージュのような破壊的狂乱を神的とみなしたかどうかは疑わしいものだが。
ただ、これは要点から外れてしまった。というのも、ベンヤミンの業績を借用することにより、ジジェクは暴力を称揚すると同時に、暴力を、特別で深遠な意味において―ガンジーはヒトラーよりもより暴力的であると見做すことが出来る、と言ったような意味において―語ることが出来るようになるからである。そこには、ジジェクの厄介な道化的言葉遊びへの基本的依拠というのが見受けられる。
「その…資本主義の仮想化というのは、素粒子物理学における電子の仮想化と、究極的に同じである。各々の素粒子は静止質量と、運動の加速によって得られた余剰によって構成される。しかしながら、電子の静止質量がゼロで、質量を構成するのは加速によって得られた余剰のみであるとする時、魔法のように電子をスピンさせ、その余剰を生み出すことによって、我々はまるで、虚偽の物質を獲得するかのような無を取り扱っているのである。」
これを読むと、ソーカル事件―物理学の教授アラン・ソーカルが『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』という出鱈目記事をポストモダン系のカルチュラル・スタディーズの雑誌に寄稿した―を想起せずにはいられない。上記の文章にとどまらず、ジジェクの作品に見られる多くの同じような一節は、彼が―故意かあるいはその反対に―自己-パロディーの類を志向しているのではないかということを疑わずには読むことが出来ない。
ある者は、ジジェクの暴力の称揚について、急進左翼ではなく、極右を思い起こさせると非難したい欲望に駆られるかもしれない。彼の著作はしばしば暴力的で、時には(ヒトラーは、「ユダヤ人の中にいる」と叙述した時のように)節度を欠いている。そこには、マルクス主義の伝統の中に位置づけられるどのような思想家よりも、イタリアの未来派、超国家主義者であるガブリエーレ・ダンヌンツィオや、そのシンパであるファシストのクルツィオ・マラパルテを思い起こさせるような、テロルへの賛歌という冷笑的な浅はかさがみられる。けれども、彼はマルクスやレーニンの門弟などではなく、右翼の亜流(epigone)でしかないというのが、より妥当的なもう一つのジジェク解釈であろう。
共産主義についてのマルクスの洞察が、「資本主義的幻想に固有」であるにしてもそうでないにしても、ジジェクの洞察は、―先の構想を否定することは止めておくにしても、実定的な内容を欠いている―かつてとは異なる、真新しい商品や体験などの絶え間ない生産に基づいた経済機構に能く適応している。ジジェクによる無定形な急進主義は、浸食していく資本制秩序について、それが問題含みではあるものの、実現可能な代替を案出することも不可能であると自覚し、儚さという光景に縛りつけれた文化に、理想的に適合している。ジジェクの思想と現代資本主義の間にはこのような異種同形的関係が存在することは驚くに値しない。結局のところ、それはジジェクのような思想家を生み出すことのできる唯一の経済機構なのである。世界的に広く知られた知識人であるジジェクが演じている役割というのは、現在の資本主義モデルの拡大には欠かせないメディア装置と有名人文化に伴い出現したのだ。
知における過剰生産という類稀なる業績の中で、ジジェクは現状の秩序に対する幻想的な批判、現実に存在する何もかもを否定していると宣う批判を創出するものの、それは同時に彼自身が資本主義の活動において感取している、強制的で無目的的な力動を再生産している。本質的に虚無なビジョンを終わることなく反復し、欺瞞に満ちた実体を勝ち取ることで、ジジェクの著作―矛盾許容論理の原則を見事に例証している―は、結局、無以下(less than nothing)なものに成り果てるのである。
スラヴォイ・ジジェク:なぜ自由市場主義者たちは、2013年が史上最も恵まれた年になると考えるのか
今回は、今年の2月にイギリスのガーディアン紙に投稿された記事を翻訳しました。
なぜ自由市場主義者たちは、2013年が史上最も恵まれた年になると考えるのか(原題:Why the free market fundamentalists think 2013 will be the best year ever) スラヴォイ・ジジェク 2013年2月17日
スペクテーター紙はそのクリスマス号で、「2012年が史上最も恵まれた年である理由」と題した社説を発表した。それは、「われわれはいま、危険で残酷な、物事が悪くなる一方の世界に生きている」という認識に真っ向から反している。導入部にはこう書いてある:「そうは感じられないかも知れないが、2012年は世界史上最も恵まれた年なのである。大げさな主張に聞こえるかもしれないが、確かな裏付けに基づいているのだ。かつてこれほど飢餓や病気が少なかったことはないし、かつてこれほどの繁栄があったこともない。西洋は経済的無風状態の中に取り残されているが、発展途上国のほとんどは快進撃を続け、人々は記録史上最も急速に貧困から抜け出している。幸運なことに、戦争や自然災害が原因で亡くなった人々の数も少ない。われわれはいま黄金時代に生きているのだ。」
まさにそのような見解が、様々なベストセラー本(マット・リドリーの『 Rational Optimist』や、スティーブン・ピンカーの『 The Better Angels of Our Nature』に至るまで)の中で体系的に発展させられている。また、非ヨーロッパメディアで耳にするような、より現実的な意見も存在する:「危機?何のことでしょう?BRIC―ブラジル・ロシア・インド・中国―や、ポーランド、韓国、シンガポール、ペルー、サブサハラのアフリカ諸国を見てください!それらの国々は皆躍進しています。」と言ったようなものである。敗者はヨーロッパであり、ある程度まではアメリカにも当てはまる。したがって、われわれが直面しているのは世界危機などではなく、単に西洋からその他の地域への進歩の移行である。ポルトガルから、多くの人々がモザンビークやアンゴラのような旧植民地に逆戻りしている―ただし今回は入植者ではなく、経済的移民として―という事実は、この移行に妥当性を与える象徴的出来事ではないだろうか?
人権に関してでさえ、中国やロシアにおける現状は、50年前のかつての頃より改善してはいないだろうか?現在進行中の経済危機をグローバルな現象であるかのように記述するのは、―ストーリーは以下のように続く―普段は自身を反西洋中心主義であると規定し誇示する左翼の、典型的なヨーロッパ中心主義的な見解である。われわれの言う「世界危機」とは実際のところ、総体における大規模な進歩の過程の中の、単なる局所的なスポットなのである。
しかしこうしたニヒリスティックな楽しみは控えるべきだ。挙げられるべき疑問は、「ヨーロッパのみが漸進的な衰退の一途にあるとして、そのヘゲモニーにとって代わるのはどこだろうか?」ということである。答えは、「アジア的価値観を携えた資本主義」である。それはもちろんアジア人そのものではなく、民主主義を限定し、宙吊りにさえする現代資本主義の現在的傾向に存するものである。
この傾向は、称揚されているヒューマニズムの進歩と矛盾することはない(それどころか内在的特徴である)。急進的な思想家(マルクスから知的な保守派に至るまで)は、皆「進歩の価値とは何か」という問題に憑りつかれていた。マルクスは資本主義に、資本主義が解放した前代未聞の生産性に、魅了されていた。しかしながら、彼はこの資本主義の成功は敵対性を生み出すと主張した。われわれは今日同じ主張を繰り返し、反乱・暴動を煽るグローバル資本主義の負の側面に心を留めるべきなのである。
人々は物事が最悪の状態にある時に反逆するのではなく、彼らの期待が裏切られるときに反逆するのである。フランス革命は、王族や貴族の権力に対する影響力が弱まったときに生じた。1956年のハンガリー動乱は、ナジ・イムレが2年間の任期を務め、知識人たちによる(比較的)自由な討論が為された後に勃発した。そして2011年、エジプトではムバラク政権の下、ある程度の経済的な進展に恵まれておりユニバーサルなデジタル文化に参入する教養ある若者たちを生み出したがゆえに、革命が生じたのである。このような理由から、中国共産党がパニックに陥るのは無理もない。なぜなら、平均的には人々は40年前よりも豊かな暮らしをしており、そして同時に(新進の富裕層と残りの人々との間の)社会的な敵対性は増長され、期待は高まる一方だからである。
それこそが、発展と進歩にまつわる問題なのである。それら[発展と進歩]は常に不均等で、新たな不安定性や敵対性を生み出し、決して応えられることのない期待を生じせしめる。アラブの春の少し前のエジプトでは、多くの人が以前よりも多少豊かな生活を享受していた。しかし、(不)満足度を量るための基準はそれよりも遥かに高いものだったのだ。
進歩と不安定性の関係性を見落とさないためには、当初社会的なプロジェクトの不完全な実現として現れたものが、どうやってその内在的限界性を示すかに、常に注視する必要がある。ケインズ左派のジョン・ガルブレイスに纏わるこんな話が(事実かどうか怪しいが)ある。彼が1950年代の終わりごろにソ連へ渡航した際、友人である反共産主義者のシドニー・フックにこんな手紙を宛てた:「心配するな。ソビエトに誘惑されたりして、帰国するなり、あそこは社会主義だった!なんて叫ばないから。」フックはすぐに即座に返信した:「いや、それこそが心配でさ。君は帰ってきて、ソ連は社会主義ではなかった!なんて言うんじゃないかと心配しているんだよ。」
彼が怖れたのは、その概念の純潔さをばか正直に信じて擁護してしまうことだった。「社会主義国家の建設にあたって何かが上手く機能しなかったとき、この事実はそのアイデア自体を無効化するのではなく、単にわれわれが適切な実行をしなかったということである。」といったように。われわれは今日の市場原理主義者に、同じようなばか正直さを感じないだろうか?
つい先日フランスでの討論番組において、ギュイ・ソルマン(フランスの哲学・経済学者)が民主主義と資本主義は必然的に並行して進歩することを主張したとき、わたしは「しかし、中国に関してはどうでしょう。」と尋ねずにはいられなかった。すると、彼は「中国には資本主義など存在しない!」と言い返したのだ。民主的共産主義者にとって、スターリニズムが共産主義の真なる形式ではないのと同様に、狂信的な資本主義者であるソルマンにとって、非‐民主主義国家は正統な資本主義国家ではないのである。
これこそ今日の市場の弁解者が前代未聞のイデオロギーの盗用によって、2008年の金融危機を説明する方法である。「危機は、自由市場の失敗のせいではなく、過剰な国家規制―われわれの市場経済は真正なものではなくむしろ福祉国家の手中に陥っているという事実―が原因である。」と。市場資本主義の失敗を偶発的なちょっとした事故として片づける際、われわれは概念のより正統で純粋な適用が解決策であるとする進歩‐主義に陥り、こうして油を注ぐことで火を消そうと試みているのである。
スラヴォイ・ジジェク:生命以上に肥大化した心臓
この記事は、私が知る限りで最も新しいジジェクの記事です。震災からちょうど二年経った2013年3月11日の記事になりますが、この6日前に何があったかと言うと、ベネズエラ大統領ウゴ・チャベスの死です。彼はポピュリスト的な社会主義政策に走ったり、国際政治ではブッシュにケンカを売ったりといろいろと物議をかもしましたが、癌が原因で3月5日に亡くなりました。
ジジェクは、この記事に限らず、自身の著書やインタビューでしばしばチャベスについて触れることがあります。評価としては期待はしていないが、ある程度評価はできる、といったようなものです。併せてチャベスの名が出るデモクラシー・ナウのインタビュー映像を貼っておきますので気になる方はご覧ください。
生命以上に肥大化した心臓(原題:A heart larger than life) スラヴォイ・ジジェク 2013年3月11日
私は大抵の場合、ウゴ・チャベスのやること(特に彼の任期も満了に近づいた頃の)が気に食わなかったと告白しなければならない。
とはいえ、「彼の“全体主義的”独裁政治が〜」といったような馬鹿げた批判をするわけではない。(そのような主張をする者は一年か二年ほど、真にスターリン主義的な独裁政治を経験してみるといい!)
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しかしながら、確かに彼は色々と狂った真似事をやっていた。
外交面では、ルカシェンコやアフマディネジャドとの親交について言い逃れできない。経済政策の面では、真の問題解決を図る代わりに、むしろそれらを覆い隠すようなバラマキ政策を含めた、数々のその場しのぎの政策。
また政治犯に対する虐待や、ノーム・チョムスキーからの至極真っ当な反論。そして瑣末なことではあるが、TVで「シンプソンズ」を放送することを禁止するなどの、馬鹿げた文化的政策等々にいたるまで。
ただ、彼が取り組んだ基礎的な事業に比べれば、そんなことはさして重要ではない。
劇的な、しかし非常に不均等な発展をもたらす今日のグローバル資本主義にあって、制度的に、社会・政治的活動への能動的参与を阻まれている人々。その数はますます増えていることを我々は知っている。
メキシコシティの貧民街、その他のラテンアメリカの首都、そしてアフリカ(ラゴスやチャド)から、インド、中国、フィリピン、インドネシアに至るまで、特に第三世界の大都市において見られるスラムの爆発的成長は、我々の時代における、おそらく決定的に重要な地政学的出来事となる。
そう遠くない時期に(もしくは第三世界の人口統計の不正確さを鑑みれば既に始まっているかもしれない)、都市部に暮らす人々の数は地方に暮らす人々の数を上回るだろう。そしてスラムの人口は、都市部に住む人々の中でも多数派を占めるようになる。我々が取り組んでいるのは決して瑣末な、取るに足らない現象では無いのだ。
もちろん、彼らのうちの多くはリベラルエリート層にとって、人道的な保護や慈善の好ましき対象である。不具のインド人の子どもを抱きかかえるビル・ゲイツ。そのような象徴的なイメージを思い起こしてみればいい。
我々は、絶えずイデオロギー的な隔たりを忘れるように、[彼らのために]何かを成すように要請される。例えば、コーヒーを飲みにスターバックスへ行く時でさえ、我々は既に何かを成しているのだと気づかされる。「支払った金額の一部はグアテマラの子供達のところへいく…」と言ったように。
だがチャベスはこれだけでは不十分と考えた。
彼はその地平に新たなアパルトヘイトの様相を読み取り、またかつての階級闘争が、装いを新たにより強固な分裂を伴って出現するのを見た。
そこで彼は、ある行動に出た。初めて、貧しい人々の立場を代表して、嘗てのポピュリスト的なペロン主義の手法で対処したのだ。それだけでなく彼らを奮起させるために全精力を注ぎ、効果的に、彼らを能動・自律的な政治主体として動員した。
彼は、我々の社会が包摂の過程を辿ることはなく、むしろ次第に恒久的な内戦状態に至ることを明確に理解していたのだ。
オーソン・ウェルズの『市民ケーン』における不朽のセリフを思い起こしてみよう。ケーンが、自身の属する階級に相反して恵まれない人々を代表していると非難された際、彼はこう答えた。:「私が弱きものの利益を弁護しなかったら、他の誰がするというのでしょう。おそらく金も財産もない人々です。それは余りにも酷い結果を招くでしょう。」
この「他の誰」というのがチャベスである。従って、チャベスが遺した「評価の難しい遺産」についてや、どれほど彼が「国民を分裂させた」かについての、中身の無い話しを聞き、他方で彼をそれなりに筋の通った非難の下に晒す際、一体その言葉[カッコ内の言葉]が何を意味しているのかを忘れてはならない。
それは人民に関わることであると同時に、人民の、人民による、人民のための政府に関わることである。すべての[社会的]混乱は、そのような政府を実現することの難しさから生み出されたものである。
劇場型のレトリックを用いる反面、この点でチャベスは真摯であったし、彼は本気だった。彼の失敗は我々の失敗でもあるのだ。
心臓が肥大化したために正常に機能せず、血液を送り出すことが出来なくなってしまう病気があるという。
チャベスは、まさに心臓が大きすぎたがゆえに亡くなったのだろう。
スラヴォイ・ジジェク:私は世界で最もイカした哲学者なんかではない!
比較的最近の(とはいっても昨年末のものですが)記事を訳してみました。当ブログの邦訳第一弾ですが、最初なのでインタビュー形式の分かりやすいものから翻訳させて頂きました。インタビュー中では、ジジェクの学生嫌いが十二分に伝わってきますが、最近のニュースで少し話題になったのが、彼が韓国の慶煕大外国語大学というところの客員教授になったという報道。どんな授業をしているのでしょうか…。
私は世界で最もイカした哲学者なんかではない! スラヴォイ・ジジェク 2012年12月30日
およそ25年前、哲学者スラヴォイ・ジジェクは行き詰ったスロヴェニアのアカデミアの中から躍進した。ラカン派精神分析、フランクフルト学派の観念論、そして1979年の大ヒットホラー映画『エイリアン』についての考察を巧みに融合させた著書『イデオロギーの崇高な対象』の発表によって一躍英語圏の世界で頭角を現すこととなったのだ。
こんにち、彼は何処にでもいる。その悪名高い無作法な「急進左翼」哲学者は、今や熱狂的なカルトのイコンとして、無気力なヨーロッパの左派の精神的導き手として、全く想像だにしない有名人となった。
ジジェクは50以上の著書を発表しており(近著は“The Year of Dreaming Dangerously”邦訳タイトル『2011——危うく夢みた一年』)、いくつかのドキュメンタリーにも出演している。機関紙である“The International Journal of Žižek Studies”は、彼の著作を専門に扱っている。ジジェクはこれまで「哲学のボラット」、「文化理論のエルヴィス・プレスリー」、そして「世界で最もイカした哲学者」と呼ばれてきた。彼はこれらの呼称を忌み嫌っているが。
サロンは、いまだにリュブリアナを故郷と語るジジェクに、スカイプでインタビューを行った。テーマは、「スラヴォイ・ジジェクのありそうになかった現在の名声」である。
あなたはここ数年で数々のインタビューを受けてきました。われわれはこのインタビューが幾分か抽象的な概念にまで及び、スラヴォイ・ジジェクという人物についてお話出来ることを願います。
どうぞお好きに。
つい先日、Foreign Policy はあなたを“2012年のグローバルな思想家100人”の一人に選びましたね。
ええ、ただ100人の中でも下位ですが。
そうですね。あなたは92位でした。あなた自身このリストに載るにふさわしいとお考えでしょうか?
いいえ!たとえ拷問されたとしても私はイエスとは言えません。私はノーと言うことが礼儀正しい行いだと知っていますから。
一位はあのミャンマーの女性ではなかったですか?私はいつも彼女の名前を忘れてしまいます。誰でしたっけ?
アウンサンスーチーのことでしょうか?
そうです!彼女に反対するところは何もありませんが、説明していただけないでしょうか。一体どういう意味で彼女は哲学者、もしくは知識人なのでしょう?
まず最初に、正確に言うとこちらのリストは哲学者ではなく思想家のリストです。
ええ、ただどういった意味で彼女は思想家なのでしょうか?彼女はただミャンマーに民主主義をもたらしただけです。結構。それは良いことですが、観念を観念としてそのまま受け入れることはできません。「民主主義だ!これで皆がオーガズムを体験できる。さあできるだけ沢山の人々に広めよう!」といったようにね。
思想は本当に困難な問題を抱えるときに生まれます。例えば、民主的プロセスの中で何が本当に決定されるか?といったような問題ですが。
つい最近“The International Journal of Žižek Studies” に目を通しましたが…
私はそのサイトを開いたことがありません!一度もです!約束します!
あれについてはどうお考えなのでしょうか?
編集者のポール・テイラーとは良好な関係を保っていますよ。私たちは友人の仲です。皮肉なことに、彼は自身のアカデミックキャリアの手助けになると考えたのでしょうが、トラブルしかもたらしていませんね。ご覧のように、―もしくは私の出演する不愉快な映像を見ればわかるように―私は神経質な人間なんです。私自身がスクリーンに映し出されるのはとても耐えられないのです。また、人々が私について書いても、粗野な批判でないかぎり、友人が私に応答を勧めないかぎりは読みません。
恥ずかしさのような感覚を抱いてしまうんです。自分自身を見るのが怖いのです。
以前にもおっしゃっていましたね。それと、記者があなたのことを滑稽な、おどけたものとして描写したがることについても言及されていました。しかし、疑問なのは、あなたはどの程度おどけているつもりなのかということです。
何故私がそれを[滑稽なことや、おどけたことを]するか知っていますか?私は、人々が「ありのままの私(ナイーブな言い方ですが)」を見ることでひどく退屈してしまうのが怖いのです。
周知のように、私は私生活では非常に抑うつ的な人間です。いまいる場所を見てください!私はパリにいます。
[ジジェクはノートパソコンを持ち上げ、周囲のものが見えるように動かしてみせる。寝具と一つの窓が見える、ほとんど何も置いていないホテルの一室。]
わかりますか?小さなホテルの一室にいるのです。必要があって一週間家を離れています。ここでは、食事のために一日に一度か二度外に出ますが、この一週間あなたと、スカイプで話した私の友人以外とは誰とも話していません。そして私にとってはそれがとても好ましいことなのです!
私がひどく恐れているのは、もし私が私らしく振舞った場合、人々は何も見るべきものがないことに気付くであろうということですね。ですから、それを覆い隠すためにいつも活動的でなくてはならないのです。
ついでにいえば、リアリティショーがとても詰まらないと主張するのはこの点においてです。彼ら[出演する人々]は彼ら自身ではないのです。彼らは彼ら自身の特定のイメージを演じており、それはひどく詰まらない、ばかげたものです。私にはなぜ人々がリアリティショーに惹きつけられるのか理解できません。禁止されるべきとさえ思います。FacebookやTwitterも同様にです。そう思いませんか?
私が持っている自分の写真と言えば、パスポートのような公的文書に載っているものばかりです。
ただ待ってください!自分をひどく嫌っているというわけでは無いのです。私は自分の著書が好きです。そのために―理論のために―生きているのです。そして、恥知らずな、このような人道主義的態度が大嫌いです。「アフリカの子どもたち!彼らは飢餓に苦しんでいる!誰も理論など必要としていない!」といったような態度です。そんなことはありません!われわれは今日、今まで以上に役に立たない理論を必要としています。
あなたは、あなたが出演されている2005年のドキュメンタリー映画『Zizek!』をご覧になっていないとおっしゃっていました。私はつい先日拝見したのですが、衝撃的なシーンがありました。あなたが監督のアストラ・テイラーをキッチンに連れて行き、そこに靴下がしまわれているのを見せる場面です。
はい、彼女を驚かせるためにしたんですよ!ですが、そこではとても馬鹿馬鹿しいことが起きました。彼女に、靴下をキッチンにしまっていることを言ったのですが、彼女は信じませんでした。彼女はこう考えたのです。「ああ!これはかれのポストモダンな見世物の一つなのね。」と。私はこう言いたかった。「ファックユー!本当にそこにあるだけなんだよ!」と。
ある馬鹿は、映画の諸々の場面を取り上げて…覚えていますか?私が裸でベッドに横になって(もちろん腰から上だけですが)インタビューを受けているシーンです。
低俗なものでした。[監督のせいで]私は毎日イライラさせられ疲れていました。くたくただったのです。ただ、彼女はいくつか質問したがっていたので、「もう寝るつもりだけど、五分間だけなら撮っていいですよ。」と言いました。それが事の真相です。
いまや、あれを見て「彼が上半裸で撮影したのはどういうメッセージなんだろう?」と言う人がいますが、メッセージなどありません。私はクソ疲れていたということがメッセージです。
しかし、それはあなたの著書でよくなされていることではないですか?スクリーンに映る上半裸の男を取りあげそれに意味付けをする、といったように。
事実ですね!
靴下の話に戻りましょう。それを監督に見せることで、通常の生活において全く機能できていない混乱した哲学者という人物描写に繋がると確かに理解していたのでしょうか?
いいえいいえ。私のことを知っている人は、私が整然とした人間であることをわかっています。最新の流行に敏感で、すべてが計画的です。これが上手くやる方法です。量的にであって質的ではありませんが。
鍛錬もしています。どこででも仕事ができますよ。軍隊でそれを[上手くやる方法を]学んだのです。
私は薄汚く見えるかもしれません。それは事実ですね。私はズボンだったり上着だったり、自分のために何かを買うのが極端に嫌いなのです。私の持っているTシャツはすべて同僚たちからのプレゼントです。靴下もすべてビジネスクラスのシートに備えられていたものです。こういう点では、全く自分のことを顧みません。しかし、部屋は綺麗でないと駄目ですね。私はいわゆるコントロール・フリークでして。
このせいで、兵役に服していた際、私は絶望してしまいました。私は規律を順守できない、混乱した哲学者などではありません。ショックだったのは、ユーゴスラヴィアの軍隊が、表面上は秩序の下にあるように見えますが、実際には混沌とした、すべてが機能不全にある社会だったということです。あまりにも混沌とし過ぎていて、私は深く深く失望しました。
私の理想は修道院で暮らすことですね。
そのことについてお話ししましょう。以前にも、あなたは、「私は哲学者であって預言者ではない。」と語っていました。しかしながら、あなたのことを信奉する人たちは驚くばかりに敬虔です。多くがあなたを預言者だとして崇拝しています。何故でしょうか?
そうですね、これについては何とも明確には言えません。一方で、私はより古典的なマルクス主義に回帰しています。「そんなことが長続きするはずがない!狂っている!破滅の時がやってくる!などなど…」と。
他方で、私はカルチュラル・スタディーズのような戯言が本当に大嫌いです。もしあなたがポストコロニアリズムなどという言葉を口に出そうものなら「そんなもの知るか!」と言うでしょう。ポストコロニアリズムなんてものは、白人リベラルの罪[の意識]に付け込んで、西洋の一流大学でのキャリアを築こうとするインドの裕福な人間たちが考え付いたものです。
そうすると、あなたはポリティカル・コレクトネスや、ジェンダー・スタディーズのような、ポストモダンの果実からの逃避を試みる20代の人々に、安らぎの場所を提供しているということですか?
そうです、そうです!That’s good!
ただ、ここで私は少し誇大妄想気味になってしまいます。私自身をキリストの像に重ね合わせてしまうのです。「よろしい!私を殺せ!犠牲になる覚悟はできている!されども、大義は生き延びるであろう!」といったように。
また、矛盾してはいますが、私は大衆の存在を蔑んでいます。教えるのを完全にやめてしまったのはこのことが理由なんですが。私にとって最悪なのは、学生と交流を図ることですね。私にとっては、学生なき大学が好ましいのです。中でもアメリカの学生たちは嫌いです。彼らはまるで私に貸しがあるように思っています。私に近寄ってくるなり…そう、オフィスアワー!
何ともヨーロッパ的ですね。
ええ、この点で、私は完全にヨーロッパ派、中でもとりわけドイツの権威主義的伝統に賛成ですね。イギリスは最早堕落しています。あそこでは、学生たちは自分たちを引き止めて質問する権利があると思っているのです。私はこれがとても嫌なのです。
とはいえ、アメリカやカナダには敬服もしています。今やある方面では、ヨーロッパよりも優れています。フランスや、特にドイツですが、今では非常に知的水準が低いと言えます。興味を惹くべきものは何もありません。方や、アメリカやカナダではいかに知的に生き生きしているかに驚かされます。ひとつ例を挙げましょう。ヘーゲルの研究です。ヨーロッパの人々がヘーゲルを理解したければ、トロントやシカゴ、ピッツバーグへと学びに行きます。
ヘーゲルはあなたの名声についてどう思うでしょうか?
彼は何とも思わないでしょう。彼は、―おそらく『精神現象学』の終わりの部分だったと思いますが―「もし哲学者として時代精神についてはっきり述べるとするならば、詰まる所「名声」―たとえ人々が本当にあなたのことを理解していないとしても―である。」とさえ書いています。ひとびとはある程度そのことを感じ取るのです。「人々はどうやって感じ取るのか?」という、美しい弁証法的な問題ですね。
あなたは忠実なラカニアンですね。もし[精神分析家、心理学者である]ジャック・ラカンが今日生きていたとしたら、あなたは気まずいと考えるでしょうか?
まさしく!彼は非常に日和見主義的です。そして彼は私の方向性が気に入らないでしょう。理論的には彼は反ヘーゲルですから。ただ私は、彼が実際のところ、気付かないうちにヘーゲリアンであるということを証明しようと試みています。
あなたがあまり好ましくないとおっしゃっていた大衆的な本を書く際、どのような読者を想定しているのでしょうか?
それは禁句です!そのような考えはしないようにしているのです。気にしていません。もう一つ、自己分析も禁止しています。自分自身を精神分析するという考えにはうんざりします。この点において、私はある種保守的なカトリック的悲観主義者と言えるでしょう。自身の深淵を覗くと、大量のクソが見つかると考えるのです。もっとも知るべからざることだと言えます。
『Zizek!』では、私の個人的なことにかかわる手がかりはすべて食い違うように気を付けていました。.
何故わざわざそんなことを?面白半分ですか?
彼らが馬鹿だからですよ!私はジャーナリストや映画監督が大嫌いです。そこには大変不愉快な何かがあると思うのです。当然あなたはこうも尋ねることでしょう。もし本当に私が無関心ならば、どうしてわざわざ嘘をつくのか。そうです、そこには何か問題があるからであり…と。
知っていますか?私がアルゼンチンで結婚をした際、私は非常に恥ずかしい思いをしました。私が、結婚式の写真流出を画策したと考えられているのです。それは間違いです!
私もその写真を拝見しました。愛を、暴力的で不必要なものと見なすような人びと[ラディカルフェミニスト?] のために、あなたは見事結婚式をやってのけたように見えます。あなたの妻[アルゼンチンのモデルであるアナリア・フーニー]は長い丈の白色のドレスを着てブーケを手に持っています。なんと伝統的でしょう!
そうですね、ただ何か気付きませんでしたか?写真を見れば、私が喜んでいないことが分かります。私の目は閉じてしまってさえいます。「これは現実ではない。本当は私はここにはいない。」という心理的逃避の現れなのです。
結婚式では、いくつかジョークも仕込みました。コーディネーターに式の際に流れる曲を選ぶようにいわれたので、私が妻に歩み寄ると、ショスタコーヴィッチの交響曲第10番が流れるようにしました。あれはスターリンの象徴としてよく知られています。そして私達が抱擁すると、今度はシューベルトの『死と処女』が流れるのです。私は子供じみた手法で式を楽しみましたが、結婚は全くの悪夢でした。
すると、あなたは奥さんのためにこのような大々的な結婚式を挙げたのですか?
ええ、彼女はそれを夢見ていましたから。
こうした観点から見て、私が嫌いな本というのをご存知でしょうか?ローラ・キプニスの『Against Love』です。「愛なきセックスは存在しない!」という標語がブルジョワ的秩序の最後の砦であるというのが彼女の考えです。再構築だとか、アイデンティティだとか、それはジュディス・バトラーの専門分野でもありますね。
私はそれとは正反対のことを主張しています。今日、情熱的な献身はほとんど病的であると考えられています。私は、「この男性/女性こそ私の全てを捧げたい人物である。」と言うことに、破壊的・転覆的な何かがあると思うのです。
私がいわゆる「一夜限りの関係」を成し遂げられない理由はここにあります。これには少なくとも、永遠性という一つの視点が必要となるのです。
あなたはジュディス・バトラーを何かアンチテーゼのような存在として掲げているように見えます。既に何度か言及もしていますが、彼女はあなたの仮想敵なのですね!
はい、ですが私達はとても素晴らしい関係にありますよ!ジュディスは私に、「スラヴォイ、あなたは私のことを劣った女性だと思っているのでしょう。」と言いました。私は「いいえ、あなたと同様に私がヘーゲルを好きならば、あなたが馬鹿であるはずないじゃないですか!」と返しました。
あなたが参照する歴史的な人物とは誰ですか?
ロベスピエール、あとはレーニンを少々。
本当ですか?トロツキーではなく?
1918年から1919年にかけて、トロツキーはスターリンよりも苛烈でした。彼のこういう面は好きです。ただし、1920年代半ばに彼がそれを台無しにしてしまったことは許せません。彼は非常に馬鹿で、傲慢でした。彼が好んでやっていたことをご存知ですか?彼は、フローベールやスタンダールのようなフランスのクラシックをかけながら党大会に登場するのです。他の人々に、「くそったれ!俺は文化的なんだぞ!」ということを示すためにです。
あなたは行動ではなく思考せよということを書かれていますが、結局の所あなたはレーニンに―実践の人として有名な―共鳴していますね。
ええ、しかし待ってください!レーニンは正しかったのです。1914年、全てが悪い方向に向かってしまった際、彼は何をしたでしょうか?スイスに行き、ヘーゲルを読み始めたのです。