まったりと現代思想を邦訳していくブログ~ジジェクを中心に~

本邦初のジジェク(哲学・現代思想・社会学)専門翻訳ブログです。 尚、誤訳、誤字脱字、あらゆる面で至らない点がありますが、特に誤訳の面ではコメント覧でのご指摘など頂ければと思います。時々持説なども語ったり。

スラヴォイ・ジジェク:生命以上に肥大化した心臓

この記事は、私が知る限りで最も新しいジジェクの記事です。震災からちょうど二年経った2013311日の記事になりますが、この6日前に何があったかと言うと、ベネズエラ大統領ウゴ・チャベスの死です。彼はポピュリスト的な社会主義政策に走ったり、国際政治ではブッシュにケンカを売ったりといろいろと物議をかもしましたが、癌が原因で35日に亡くなりました。

ジジェクは、この記事に限らず、自身の著書やインタビューでしばしばチャベスについて触れることがあります。評価としては期待はしていないが、ある程度評価はできる、といったようなものです。併せてチャベスの名が出るデモクラシー・ナウのインタビュー映像を貼っておきますので気になる方はご覧ください。

 「最初は悲劇、二度目は喜劇」ジジェク金融危機後の世界を語る | Democracy Now!

 

生命以上に肥大化した心臓(原題:A heart larger than life) スラヴォイ・ジジェク 2013311

私は大抵の場合、ウゴ・チャベスのやること(特に彼の任期も満了に近づいた頃の)が気に食わなかったと告白しなければならない。

 

 とはいえ、「彼の全体主義的独裁政治が〜」といったような馬鹿げた批判をするわけではない。(そのような主張をする者は一年か二年ほど、真にスターリン主義的な独裁政治を経験してみるといい!)

 しかしながら、確かに彼は色々と狂った真似事をやっていた。

 

 外交面では、ルカシェンコやアフマディネジャドとの親交について言い逃れできない。経済政策の面では、真の問題解決を図る代わりに、むしろそれらを覆い隠すようなバラマキ政策を含めた、数々のその場しのぎの政策。

また政治犯に対する虐待や、ノーム・チョムスキーからの至極真っ当な反論。そして瑣末なことではあるが、TVで「シンプソンズ」を放送することを禁止するなどの、馬鹿げた文化的政策等々にいたるまで。

 

 ただ、彼が取り組んだ基礎的な事業に比べれば、そんなことはさして重要ではない。

 

 劇的な、しかし非常に不均等な発展をもたらす今日のグローバル資本主義にあって、制度的に、社会・政治的活動への能動的参与を阻まれている人々。その数はますます増えていることを我々は知っている。

 

 メキシコシティの貧民街、その他のラテンアメリカの首都、そしてアフリカ(ラゴスやチャド)から、インド、中国、フィリピン、インドネシアに至るまで、特に第三世界の大都市において見られるスラムの爆発的成長は、我々の時代における、おそらく決定的に重要な地政学的出来事となる。

 

 そう遠くない時期に(もしくは第三世界の人口統計の不正確さを鑑みれば既に始まっているかもしれない)、都市部に暮らす人々の数は地方に暮らす人々の数を上回るだろう。そしてスラムの人口は、都市部に住む人々の中でも多数派を占めるようになる。我々が取り組んでいるのは決して瑣末な、取るに足らない現象では無いのだ。

 

 もちろん、彼らのうちの多くはリベラルエリート層にとって、人道的な保護や慈善の好ましき対象である。不具のインド人の子どもを抱きかかえるビル・ゲイツ。そのような象徴的なイメージを思い起こしてみればいい。

 

 我々は、絶えずイデオロギー的な隔たりを忘れるように、[彼らのために]何かを成すように要請される。例えば、コーヒーを飲みにスターバックスへ行く時でさえ、我々は既に何かを成しているのだと気づかされる。「支払った金額の一部はグアテマラの子供達のところへいく」と言ったように。

 

 だがチャベスはこれだけでは不十分と考えた。

 

 彼はその地平に新たなアパルトヘイトの様相を読み取り、またかつての階級闘争が、装いを新たにより強固な分裂を伴って出現するのを見た。

 

 そこで彼は、ある行動に出た。初めて、貧しい人々の立場を代表して、嘗てのポピュリスト的なペロン主義の手法で対処したのだ。それだけでなく彼らを奮起させるために全精力を注ぎ、効果的に、彼らを能動・自律的な政治主体として動員した。

 

 彼は、我々の社会が包摂の過程を辿ることはなく、むしろ次第に恒久的な内戦状態に至ることを明確に理解していたのだ。

 

 オーソン・ウェルズの『市民ケーン』における不朽のセリフを思い起こしてみよう。ケーンが、自身の属する階級に相反して恵まれない人々を代表していると非難された際、彼はこう答えた。:「私が弱きものの利益を弁護しなかったら、他の誰がするというのでしょう。おそらく金も財産もない人々です。それは余りにも酷い結果を招くでしょう。」

 

 この「他の誰」というのがチャベスである。従って、チャベスが遺した「評価の難しい遺産」についてや、どれほど彼が「国民を分裂させた」かについての、中身の無い話しを聞き、他方で彼をそれなりに筋の通った非難の下に晒す際、一体その言葉[カッコ内の言葉]が何を意味しているのかを忘れてはならない。

 

 それは人民に関わることであると同時に、人民の、人民による、人民のための政府に関わることである。すべての[社会的]混乱は、そのような政府を実現することの難しさから生み出されたものである。

 

 劇場型のレトリックを用いる反面、この点でチャベスは真摯であったし、彼は本気だった。彼の失敗は我々の失敗でもあるのだ。

 

 心臓が肥大化したために正常に機能せず、血液を送り出すことが出来なくなってしまう病気があるという。

 

 チャベスは、まさに心臓が大きすぎたがゆえに亡くなったのだろう。